実はわたし、結婚してます



想いの果てに




「そうねぇ、なにからどう話せばいいかしらね」

それは、わたしと玲斗がお世話になったユリアさんの自宅の応接間でした。広くて開放的な明るいリビングルームに比べ、窓も小さく落ち着いた雰囲気のその部屋には三人掛けソファとテーブルを挟んだその向かいに一人掛けソファがふたつ置かれているだけでした。
悠斗は国府田さんに預かってもらったのですが、部屋にはなんだか重苦しい空気が漂っていたので、わたしはなんだか落ち着かずそわそわとして、壁にかかっているどこか外国の風景画をぼんやりと眺めていました。

「なんでもいいからさっさと終わらせてくれ。俺はいい加減千穂と悠斗を連れてうちに帰りたいんだ」
「じゃあ、単刀直入に話すわね」
「そうしてくれ」

面倒くさそうにしている玲斗がいつもよりピリピリとしているように感じるのはきっとこの場に玲斗のお父様がいらっしゃるからでしょう。そのお父様も無表情だし。

「この前玲斗が言ってたことだけど、小石川家を玲斗に継がせるというのは亡きお爺様がおっしゃってただけであって、わたしたちはそのつもりは全くない、のよ、実は」
「は?」
「もちろん、あなたが全部引き受けてくれるっていうならそれでもかまわないけれど、あなたは嫌なんでしょう?」
「当たり前だ」
「私たちは最初からそのつもりよ。あなたをお爺様に預けることにしたときから、あなたが大きくなったときには必ずあなたに自分の人生を選ばせようと、思っていたの。卑怯かもしれないけれど、お爺様が存命の間は表立ってそういうことはしなかったし、お爺様はあなたが小石川家を背負って生きていくと信じて亡くなられた」
「だろうな」
「玲二さんと一緒にできることといえば有能な人材を育てることだったの。いつか玲斗が小石川家から出て行きたいと言う日がきたとき、望みどおりにしてあげられるように。あなたが千穂ちゃんと結婚すると言ったとき、あなたは断固として婚姻を隠し通すと言い切ったわね。それは好きな人と穏やかに暮らしたかったからではないの。家族一緒に誰にも邪魔されないように―――私たちが与えてあげられなかったものを、あなたは無意識のうちに自分の手で掴もうとしたのでしょう」
「それは今抱えてる事業を手放すということか?」
「優秀な人材に任せるということよ。今の時代世襲制にこだわる必要なんてないでしょうから」

それって、玲斗がすべてを背負う必要はないということでしょうか。
わたしはユリアさんの話を聞きながら玲斗を見ると、なんだか怒りを露わにしています。

「勝手なことばかり言いやがって」
「そうね。自分勝手な親よ。言い訳なんかしないわ。私たちの都合であなたの人生を振り回してしまった。あなたの子ども時代はもう二度とかえってはこない。どんなに望んでも私たちがあなたと一緒に暮らすことはできないわね。そのことに関しては本当に申し訳ないと思っているのよ」

ユリアさんが頭を下げるのと同時に玲斗のお父様も頭を下げた。

「―――すまない」

わたしは初めて、その声を聞きました。
玲斗はというとあまりにも珍しいものを見たという風に驚きの表情で目の前の両親を見つめています。

「今さらだな」

その言葉になんの感情も込められていないのを感じて、玲斗はあまりにも長い間傷ついてきたのだということを思い知るのです。
一度離れてしまった心は、たとえ親子であっても分かり合えるのは難しいのかもしれません。
ユリアさんは、ふたりで相談してよく考えて選びなさい、と言ってくれました。
悠斗のために、わたしたち家族の未来のために、最善と思い選んだ道をユリアさんたちは全力で応援するから、と。
玲斗は頷くことも返事をすることもなくただ無言で何かを思いめぐらせているようでした。そしていきなり立ち上がると、わたしの手を掴み、そのまま部屋を出て行きました。



   







   



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