実はわたし、結婚してます 〜ふたりの距離〜







「千穂、あれ作って。豚肉のやつ」
「豚の生姜焼き?」
「そう。それ」

玲斗と暮らし初めてから数ヶ月がすぎようとしていました。
あっという間です。
家族以外の誰かと一緒に暮らすというのも生まれて初めてですが、それが男の人、というのもありえません。
親には引っ越しのことだけ伝えましたが、さすがに男と同居しているなんて言えるはずもなく・・・
遠方に住んでいる両親は「また引っ越すの〜?引っ越し貧乏になるわよ」なんて呑気なことを言っておりました。ええ、すでに引っ越し前から貧乏だったんですけど!
引っ越しは・・・気がつけばわたしの荷物は運び込まれ、こんな素晴らしいところに家賃タダで住まわせてもらってるわけで、今の方があきらかに豊かです。
ああ、ズキズキと心が痛みます。

それにしてもここの家主である玲斗。
あまりここへは帰ってこない、と言っていましたが、ほとんど毎日帰宅する玲斗にちょっとだけビックリしてしまいます。
冷蔵庫にはいつも食材が大量に入っており、わたしが買い物をすることもほとんどなくなってしまい、とにかくこんなにのんびりと生活させてもらって本当にいいのかどうかわからなくなってしまうくらいです。。
ただ高級食材ばかりで、一体どんな料理をしていいかわからないときもありますが!

会社ではもちろんわたしたちが同居してるなんてナイショです。
といっても社内ではめったに会うこともないので、バレることもないのですけどね。
玲斗の存在を知ってしまうと、玲斗がそこらじゅうで話題に上っているのがわかります。今までまったく気にしていなかったのですが、玲斗ってば本当にモテモテというか、凄い人物なのですね。
次期社長の器だとか、七光りだけじゃなくかなりやり手の営業マンだとか、仕事に関しては良い噂ばかり。
そういうのを聞くと少しだけ嬉しくなってしまいます。
でも女性関係に関しては入れ食い状態だとか、秘書課は全員食われたとか、本命はバリバリのキャリアウーマンだとか・・・なんだかよく分からない言葉が飛び交っています。まぁあまり良い噂でないことは確かでしょうね。
ただ、次期社長夫人をねらっている女性たちがあまりにも多いことにはビックリしました。
社長夫人てなにかいいことでもあるのでしょうか?
社長なんて責任がいっぱいで、それを支えていくわけですから大変ですよね〜。わたしには到底無理なことです。ってありえないことですけどね!

食事が終わると、玲斗は書斎にこもるか、リビングでテレビを見たりしています。
でも、書斎で仕事をしていることのほうが多いです。
やはりお仕事は大変なのだなぁって思ってしまいます。
下っ端のわたしみたいに与えられた仕事をこなすだけではありませんからね。上司って本当に責任のある立場ですよね。

今日はめずらしくテレビを見ながらくつろいでいる玲斗。
のんびりしているところを邪魔してはいけませんからね。わたしは片付けを終わらせるとさっさと自分の部屋へ引っ込もうとしました。
すると。

「千穂」
「はい?」
「一緒にテレビ見よう」
「え、えと・・・わたしは・・・」
「イヤなのか?」
 
ぎろり、と睨まれます。
怖いです、この空気。

「イヤじゃありません」
「じゃあこいよ」
「ハイ」

ここに住まわせてもらっている以上、わたしは玲斗には逆らえません。
なんでもします、と言った手前、玲斗の望むことはなんでもしなければなりませんから!

「今日は仕事はもういいの?」
「仕事してほしいのか?」
「まさか!のんびりしてほしいなーって、だって玲斗はいつも働き過ぎだと思うし」
「・・・」
「だからたまにのんびりできるのにわたしがいたら邪魔かなーって・・・」
「・・・邪魔だったら最初から呼ばない」
「そ、そうだよね」

玲斗も人恋しいのかもしれません。
こんな広いところでひとりで住んでいたのでしょうか?
まさか、そんなことはありませんね。
きっとわたしの前に誰か女の人がいたに違いありません!
たまたまその女の人が出ていって、部屋が余っていたのでわたしを引き入れてくれたのでしょう!
そうするとやはり、身体の相手をしないのは悪いのでしょうか・・・。
でも玲斗だってもっとステキな女の人の方がいいに決まってますし・・・。
男は愛なんかなくても抱ける、とか言いますけど、やはりナイスバディの女の人がいいに決まってますよね。
わたし、本当にここにいていいのでしょうか。
そう思いつつも、この玲斗のいる空間から離れたくないと思ってしまう自分もいたりするのでおかしな気持ちです。
テレビの音だけが流れるこの無言の時間ですら、なぜか居心地がいいんですよね。
どうしてでしょう。
いろいろ頭で考えながら、ふと玲斗に言っておかなければならないことがあったことに気づきます。

「あ、そうだ。明日残業になるみたい」
「知ってる。俺も遅いから。終わったら一緒に帰ろう」
「え、でも・・・誰かに見られたら・・・」
「大丈夫だろ」

大丈夫だろ、って。そんな簡単なことじゃないと思うんですけどねー。
わたしみたいな女と噂になったらそれこそ玲斗の価値を下げてしまうと思うのですよ。
手を伸ばせば、届く距離に玲斗は座っています。
姿勢を崩してくつろいでいる玲斗のとなりで、姿勢を正して座っているわたし。
どう考えても釣り合いのとれないふたりですね。
わたしがこの場所に長くいていいわけがないのです。
いくら居心地がよくても・・・早く、できるだけ早く借金完済して、ここを出て行かなければなりません。



翌日。
「ごめんね、井原さん。残ってもらって」
「大丈夫ですよ〜!」
「井原さんは仕事熱心だし、残業もイヤな顔ひとつしないで頑張ってくれるからホント助かるよ」
「仕事好きなんですよ〜!」

残業すればお給料もアップなんて半分はそういう魂胆もあるんですけどね!
仕事は好きなのです。
なにかに集中していれば余計なことを考えなくてすみますから。

「あ、井原さん、髪にホコリがくっついてるよ」
「あれ?ホントですか?さっき資料室でバタバタやってたからですかね〜」
「資料室ホコリっぽいよね。あそこ窓もなくて暗いし」
「そうですねー」
「ほら、動かないで。とってあげるから」
「あ、すみません〜!」

とはいえ、男の人とこんなに近づくのってドキドキしてしまいます。
上司とはいえ、この時間にふたりきりってのもちょっと困ります。

「ありがとうございます」
「井原さん、このあと予定なかったらご飯でもご馳走するよ。残ってくれたお礼に」

ふとドアのところに人影が見えます。
一瞬だけでしたが見間違うはずはありません。
玲斗です。
きっと帰りが遅いわたしを迎えにきたのでしょう。

「あ、えーと。明日も早いし・・・今日は真っ直ぐ帰ります」

本来ならタダでご飯!って思っちゃうのですが、玲斗を怒らせるわけにはいきません。

「そうか。残念だな。じゃあまた今度ね」
「ハイ。宜しくお願いします」

お誘いを受けると社交辞令でも嬉しいですけどね。

さっさと帰り支度をして、廊下に出ましたが玲斗の姿は既にありませんでした。
あらかじめ玲斗の指定していた場所へ行ったのですが、やはり長い時間待たせてしまったようです。
玲斗は怖い怖いお顔で、わたしの帰りを待っていました。

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玲斗、また誤解・・・(笑)










    



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