実はわたし、結婚してます 〜ふたりの距離〜







「ご、ごめんなさい。遅くなって」

深々と頭を下げて謝りましたが玲斗は何も言いません。
ああ、どうしましょう。
もはやこんなにも怒らせてしまっては、追い出されるかもしれませんね。
善意で、やってくれていることですし、今夜も善意、で待っていてくれたわけです。それをわたしは踏みにじってしまったのです。

マンションに戻ってからも玲斗は一言も口を開きませんでした。

「ご、ごはん・・・これから作るね」

恐る恐る声をかけましたが、やはり返事はなく、玲斗はさっさと書斎にこもってしまいました。

わたしは急いでご飯を作り、もう時間も遅かったので和食のあっさりメニューです。それを玲斗の書斎まで運びました。
ノックすると、しばらくして「入れ」と低い声が聞こえてきました。
わたしが玲斗の書斎に入るのは初めてです。
掃除もここだけはできません。やはり玲斗のプライベートな空間で、鍵がいつもかかっているからです。
意外と部屋は狭く、デスクの上にはパソコンと様々な書類の山。本棚には難しそうなハードカバーの本がいくつも置いてありました。

「あの・・・ご飯、作ったから」
「千穂」
「は、はい」
「お前は誰とでもあーいうことができるのか。お前もそういう女だったんだな」
「え?」
「そうやって純粋そうな顔して、裏では何考えてるんだか」
「・・・?」
「そうやって男をもてあそんで満足か?」
「もて遊ぶって・・・」

そんなことわたしがいつしたのでしょうか。
あーいうこととかそういう女って、一体なんの話でしょうか。
玲斗は椅子に座ったまま、立ちつくしたままのわたしを睨みつけました。

「誰とでもできるんなら、俺ともできるだろう?」
「え」

その瞬間。
手に持っていた玲斗の食事をお盆ごとガシャーンと落としてしまいました。
だって。

それは生まれて初めてのことでしたから。

玲斗の唇がわたしの唇に押しつけられ、わたしの身体はそのまま玲斗に抱きかかえられてしまいました。
その強い力に、わたしは抵抗することすらできませんでした。

「んー!!」

抗うことも、なにも許してくれない玲斗にわたしはただ身を任せるしかありませんでした。

ファーストキスは。
もっとロマンティックなものだと思っていました。
好きな人と、ステキな場所で、ゆっくりと唇を重ねるのです。
初めての夜に期待するよりも、実はファースト・キスへの憧れの方がわたしには強かったのです。
それなのに、こんな形で奪われてしまうなんて。
あまりのことでビックリしたのと、そしてこんな形でファースト・キスをしてしまったことに対しての悔しさと、それなのに、どこかで玲斗のなすがままにされて満足している自分がイヤで、涙が零れ落ちます。
玲斗は唇の中にまで侵入し、舌を絡めてきました。

「ん・・っふ・・・」

イヤなのに。
愛されてもいないのに、こんなことするなんて。
でも、だんだんと身体は拒否することをやめていきます。
必死で逃れようとしていたはずの身体なのに、玲斗のキスに溺れていくのです。
頭が真っ白になって、玲斗のキスを受け入れてしまうのです。

それは長い長い時間のようにも思えました。

ハッと我に返って、わたしは思わず恥ずかしさのあまりその場を走って立ち去りました。
最後は玲斗のキスに思いっきりのめりこんでしまい、もっともっととせがんでいる自分がいたのです。
こんなはずではなかったのに。
わたしはベッドに潜り込むと声を殺して泣きました。
なにがなんだかわかりません。
ただ、頭の中がぐちゃぐちゃになってしまい、もう何も考えたくありませんでした。


わたしはそのまま眠ってしまったようで、気づけば朝日が差し込んでいました。
鏡を見ると酷い顔です。
もう、出て行こう。
ここには、いられません。
住むところくらいなんとかなるでしょう。
いざとなれば実家に帰ればいいのですから。
ダイニングへ入るとテーブルの上には玲斗のメッセージが置いてありました。

”今日は欠勤にしておく”

欠勤にしておくって・・・
それが玲斗の優しさだと気づくのはもう少し先の話です。
わたしには玲斗の考えがさっぱりわかりませんでした。
どうしてわたしをここへ連れてきたのでしょうか。
どうして・・・。

次にわたしの目に止まったのは一緒においてあった封筒です。
わたし宛の封筒なのになぜか開封してあります。
玲斗が勝手に開けたのでしょう。


それは、借金完済の通知と同時に返却されてきたと思われる契約書でした。


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