「はぁぁぁぁぁ」

その日の放課後、あたしは園庭の花に水をやりながら何度目かのため息をついた。
すると少し離れた場所で同じように水やりをしていた天野先生が近寄ってくる。

「さっきからため息ばっかりだね。交流会楽しかったんだろ?」
「うん、まぁ」

わたしの浮かない顔に、先生は不思議そうな顔をしている。
明日は交流会の後、初めての水泳の授業がある。
あの後・・・あたしと柴田君が原田先生を見てしまった後、あたしたちは何も見てません、て感じで二人で話をしているフリをしてしまったけれど、原田先生はあたしたちの存在に気づいていたに違いない。
なんだか見てはいけないものを見てしまった気分。
ただでさえ苦手な先生なのに。
あと少しで水泳の授業も終わりなんだから、波風立てたくないのに。

「もうすぐ期末だからか?」
「あっ。そーいえば!」
そういうものもありましたね。

「忘れてたのか?まあ美月なら大丈夫だろうけど」
「だ、大丈夫じゃないよぉ」

この学校、2、3年はほとんどが選択授業になるけど、1年ではほとんどの科目が必須授業だ。自分の得意科目を探すため、選択肢を増やす・・・ことが目的らしいけど、あたしが文系苦手なのは中学で証明済みなのに。
まだ国語はいいわよ、国語は。問題は歴史よ。過去の偉人さんたちの話だけで十分なのに、なんでまた年表とかわけの分からない当時の官僚制度まで覚えなきゃならないわけ。

「美月は暗記嫌いだしな」
「う、読み書き計算できれば生きていけるもん」
「ま、がんばれ」

先生はそう言うと、あたしの頭をぽんぽんと軽く叩いた。
やっぱり子ども扱いだ。

先生に勉強を教わっていたとき、先生はいつもテスト前に同じように頭をポンポンとしてくれた。
それはまるでおまじないのようで、あたしはなぜか落ち着いてテストが受けられる。
そして不思議と成績もけっこう良かったりするのだ。
小学生の時、学校へ行けなかった時、テストだけ受けに行ったにも関わらず、あたしはほぼ満点に近い点数をとった。もちろんそれは学年1位で。
この学園の受験の時もそうだった。
緊張してたはずなのに、いざ試験が始まると、あたしは妙に落ち着いていた。
合格したことを一番に伝えたのは先生だ。

あたしはもうすぐ咲きそうな向日葵を見つめた。
夏の花。
太陽に向かって咲き誇る一途な花。
あたしは絵梨が言った言葉を思い出していた。

「ねえ、先生」
「ん?」
原田先生って生徒と噂あるってホント?って聞いてみたいけど、やっぱり聞けない。
「なんでもない」
「どうした?」

それでも先生は気になるらしく、あたしの顔をのぞき込んできた。
なんて言っていいのかわからない。
ハッキリ言って、先生にはなんの関係もないことだし、単にあたしが気になっちゃってるだけだし。
なんでこんなに気になってしまうんだろう。
原田先生と湖南さんにだって事情はあるんだろうし。
あたしと天野先生みたいな関係だってあり得るんだし。

「言おうとしたこと忘れちゃった」
「そうか」

先生なら一緒に考えてくれる。
だからまだ言わないほうがいい。
あたしだって、あの二人のことを知ってるわけじゃないんだし。

「さて、あたしは帰ってテスト勉強でもやろう」
あたしはベンチの上に置いておいた自分のカバンを手に取った。

「美月」
「ん?」
「何か困ったことがあったらちゃんと言えよ」
「うん。ありがとう。それじゃあ、先生また明日」
「ああ」

あたしは笑顔で返事して先生に背を向けた。



翌日の水泳の授業。
原田先生はいつも通りだった。
あたしも柴田君もたわいない世間話はしたけれど、あの夜のことは何も言わなかった。。
あたしたちは見なかったことにしたつもりだった。
少なくともあたしは、そうしたかった。
それなのに授業の最後に告げられた言葉。

「咲原、今日は補習だからな」
原田先生の冷たい視線があたしを見つめた。
「はい」
あたしは静かに返事をする。
「今度は逃げるなよ。分かっているんだろう?」
そう耳元で囁かれた言葉に、あたしは少しだけ恐怖を感じた。

「なんか言われた?」
「あ、うん。特に・・・」
原田先生が去った後、柴田君が心配して側にきてくれる。
「今日、補習だって」
「え?なんで。ちゃんと泳げてるのに」
「なんでだろうね」
「まさかこの間のことじゃないよな」

「この間って?」
柴田君とひそひそと話をしていると絵梨が怖い顔をして立っていた。
絵梨には何も言ってなかった。
「あとでゆっくり話すよ。とりあえず着替えないと、お昼休みなくなっちゃうし」
「それもそうね。ていうか絶対話してもらうわよ」
「う、うん・・・」
あたしはちらりと柴田君を見た。
柴田君も仕方ないって顔をしていた。
その時、あたしはどうして見てしまったんだろう。
柴田君の少し後ろに立っていた、湖南さんの姿を。
湖南さんはじっと原田先生を見つめていた。

それは一途に想う、向日葵のような視線だった。



   





   


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