夏 君が微笑む   −第2部−







「女ってなんであんなに話すことあるわけ?」
私たちの部屋に戻ってきて一番最初の尚弥さんの言葉に、私は「だって女だしー」、ってボソッと言ってみた。けど、その言葉は耳には入っていなかったようで、尚弥さんはどこからか、ワインのボトルを一本持ってきた。
「まだ飲むんですか?」
さっき食事のときも白ワインと赤ワインをグラス一杯ずつ飲んで、私なんてそれだけで頭がふわふわしちゃってる。
「さっきのなんてたしなみ程度だろ」
そっけなくそう言った尚弥さんはいつもとなんだか様子が違った。
それにさっきまであんなに私のこと抱いて意地悪してたはずなのに、今はまるでそういう雰囲気すらなくなってしまった。
夜景の見えるバーカウンターのようなところで私たちは隣り合って座った。
ホテルの部屋にこんなスペースがあるのも驚きよね。
「美絵、飲む?」
「じゃあ一杯だけいただきます」
尚弥さんが注いでくれたワイン。なんだか幸せだった。さっき空音さんに尚弥さんの武勇伝を聞いたからかな。
「美絵、悪かったな」
「え?」
突然ガラにもなく謝ってきた尚弥さんに、私はびっくりしてしまった。
「いろいろ初めてのことばかりで、混乱して当たり前なのに、当然のように引っ張り出したりして」
「え、そ、そんな!私は大丈夫です」
明日大雪でも降るんじゃないかと思うくらい。
一体どうしたの、尚弥さん。
「美絵が空音に対して複雑な感情持ってるの知ってて空音と仲良くさせたしな」
「ちが・・だって空音さん、すごくいい人だし。だって好きだったのは過去のことですよね。私だって好きな人のひとりやふたり、いたしっ・・・」
尚弥さんの態度に私は思わずペラペラとしゃべってしまう。だってほんとに、空音さんとはすごく仲良くなっちゃったんだもん。
「ひとりやふたり?オマエそんなこと一言も言ってねーだろ」
「いや、あの・・」
「まぁ、いいけど。空音がさ、たぶん一番付き合いやすいと思ったんだ。それから美絵がお手本にするには一番いい人材だから」
「え?」
「美絵は、人の話を聞いて理解するのは苦手だが、人のことを見てマネしたり、学んだりするのは得意だからな。仕事でもそうだろ。俺が文書で渡したものはちっとも覚えられないくせに、人がやってる仕事はすぐに覚えてる」
尚弥さんが私のことをそこまで見ていてくれたことなんて全然気づかなかった。
ていうか、私よりも尚弥さん私のことわかってるみたいな言い方。
尚弥さんはひたすらワインをぐびぐびとジュースみたいに飲みながら話すので、いつもより饒舌に感じてしまう。もしかして酔ってるのかな?
「これから先いろいろあると思うけど、空音と結束固めてくれれば、俺も兄貴も安心なんだ」
結束って・・・。
「兄貴には適わないからな。ホント、尊敬してるし感謝してるから」
「尚弥さん・・・」
尚弥さんがお兄様のことを尊敬してるのは態度を見ていてもすぐにわかった。でも、こうやって口にしたのは初めて。
「俺が自由に好きな仕事できるのも、美絵と好きなように付き合えるのも、全部兄貴のおかげだからな」
「そうなんですか?」
「ああ、兄貴が海棠家のすべてを背負ってくれてるおかげだ」
確かにお兄様は尚弥さんとは全然雰囲気が違ってるけど。
「俺は、10代の頃かなり荒れてて、ホントめちゃくちゃやってた。美絵が俺の過去を知ったらたぶんかなり引くと思うぞ?」
「え?」
「優秀な兄貴と比べられて、俺はどうしようもなかったから、暴力も振るったし、女だって来るもの拒まず、社会のすべてを敵にしたような感じでさ、恥ずかしくなるような過去だよな。そんな俺をずっと見捨てなかったのは兄貴だけなんだ。もちろん、その頃は優秀な兄貴にかばわれるなんて真っ平だったから、反発しまくっててさ。だけど、あるとき、兄貴の紹介で春樹さん・・・藤原社長が俺の家庭教師としてきたんだよ」
そういえば、前に社長が家庭教師だったって言ってたよね。
「少し話したことあるよな。春樹さんはすっげー人で、大学生だったのに自分でちっさい会社つくったりさ、たぶんあの頃からけっこう稼いでたんじゃないかな。とにかく当時海棠家の総帥だった祖父も春樹さんの才能は認めてた。俺は春樹さんに会って変われたんだ。海棠家に対して、あまり良い感情をもってなかった俺をさ、自分の会社にこないかと誘ってくれたときも、断る理由なんて何もなかった。俺はやっとやりがいっていうか仕事の面白さを知って、また同時に社会の厳しさも知って、海棠家っていうやっかいなバックグラウンドの重さがわかったとき、初めて兄貴に申し訳ない気持ちになったんだ」
私は尚弥さんの話をずっと黙って聞いていた。
だってそれはずっと尚弥さんが抱えてきた想いを初めて私に打ち明けてくれてるってことなんだもんね。
「兄貴が優秀だったのは、優秀でなければならない、というプレッシャーの中で育ったからだ。長男として、海棠家を背負っていく人間として。幼い頃からそう叩き込まれてた。うちの親父はハッキリ言って仕事をする人間としては失格だったから、兄貴が小さい身体ですべてを背負って生きてきたんだよ。俺が何をやっても、俺が自由に過ごせるように、そうしてくれたのは兄貴のおかげなんだ。ずっと兄貴はひとりで闘ってきて、そんなとき、兄貴に空音を紹介された。兄貴のことだから、どこか良家のお嬢様と完璧な結婚するんだと思ってたけど、一般家庭の、しかもいろいろ複雑な事情を抱えた女でさ。見た目は美人で振舞いも恥ずかしいところはまったくないのに、中身は変人で」
え、へ、変人!?
空音さんを変人ってなんかひどくない!?
仮にも好きだった人でしょ!!
思わずそう思ってしまったけど、尚弥さんの表情がとても柔らかく思えた。
「兄貴にとって空音だけだったんだろうな、逃げ場所が。空音は変だけど、見るところは見てるから。空音の前では兄貴がまるで子どものように笑うんだよ。俺は兄貴が笑ってるところを生まれて初めて見た。あの二人が二人だけで海棠家を背負っていくと決めたとき、俺も決心したんだよ。これから先は何があっても兄貴を支えようってな。今まで自由にさせてもらった。春樹さんの会社で普通に会社員やってさ。どうしようもなかった俺が、爽やかで優しい上司とか言われて働いてんだぜ?」
「だから、今の会社、辞めるんですか?」
「ああ。お世話になった春樹さんに恩返しがしたいと思ってたけど、たぶん俺ができる一番の恩返しは兄貴を支えることだからな」
「そうですね・・うん。わたしもそう思います」
「美絵には自由にしてもらいたいが・・・、俺も全力で守るけど、でももしかするといつか、仕事もなにもかも辞めて、妻としての役目をおしつけることになるかもしれない」
それでもいいか?と尚弥さんの瞳が私に問いかけているのがわかった。
「大丈夫です、私。そのときがきたら、スッパリ辞めます。だから、そのときまでは、今の会社で、尚弥さんのかわりにがんばります。私じゃ尚弥さんのかわりなんて無理ですけど・・・」
「無理じゃねーよ。上司の俺が言うんだから間違いない」
間違いない・・・。
はっきりと、そう言ってくれるってことは、私・・・ちゃんと仕事ができてるってことなのかな。
「てことで。真面目話ついでに言っておく」
「へ?」
「佐伯美絵」
「俺は美絵が好きだ。俺と結婚しろ」
なんか、イキナリ命令口調なんですけど〜!!!
って思ったけど、やっぱりそういうところが尚弥さんらしくて・・・ものすごく嬉しくなってしまい、湧き上がってくる感情とともに涙がポロポロと零れ落ちてしまった。
やだ。泣くつもりなんてないのに。嬉しくて嬉しくて仕方がないのに。
「美絵、オマエ変な顔」
ひどい!変な顔って!
たぶん、プロポーズだけじゃない。尚弥さんが自分の過去のことや、お兄様への思いの深さが凄く伝わってきて、ますます尚弥さんのことが好きになってて・・・いろんな思いが交じり合って思いっきり泣きじゃくってしまった。
でも尚弥さんはそれ以上何も言わず、私のことを抱きしめて背中を優しくさすってくれた。
やっと涙が乾いてきて、私は尚弥さんに丁寧に頭をさげた。


「フツツカモノですが、よろしくお願いします」



   




   



inserted by FC2 system