緑の道








その年の夏、アレンは留学の準備だと言って日本へ早めに来日した。
東京の大学に通うことが既に決まっている彼は、9月からいくつか日本語の勉強の為に単位を取り、4月に正式に入学するらしい。
留学生がどのように入学するのかあまり知らない私は、そんな話がなんだか新鮮だった。


アレンは、東京と私の住む町を往復しながらその夏を過ごしていた。私も友人たちとの時間よりもアレンと過ごす時間を優先した。
離れていた時間がまるで嘘のように、私たちは同じ時間を共有し、いろんな話をした。
私が高校を出たら東京で就職して、一緒に暮らそうと、母親の前で言ってくれたのもその夏のことだった。
もちろん母は最初、驚きを隠せないようだったけれど、幼い頃一緒に遊んでいたことを知っていたためか、あまり心配もせず承諾してくれた。


その時、私も、アレンも、母も、口にすることはなかったけれど、私とアレンが将来一緒になると、当然のように思っていたのかもしれない。
そしてきっと、空に眠る牧師様も、祖母もそうなることを願っているような気がしていた。



   *   *   *



2年後、母は、私が家を出るのと同時に再婚した。
付き合いをしている男性がいることは薄々気づいてはいたけれど、母は私が自立するまでは私だけの母であり続けてくれた。

「紫乃、いつでも帰ってきていいのよ」

駅で見送ってくれる母は、随分と年を取ったように感じて、少しだけ切なくなった。
近くにいすぎて気づかなかったけれど、母はきっと多くの苦労を背負ってきたのだ。

「ありがとう。お母さんも今度こそ幸せになってね」

母と多くの会話をしてきたかといえば決してそうとは言えなかった。
私の中の母はいつも仕事をしていて、疲れた顔をしている。
覚えている限り、参観日も親子遠足も私はいつも一人だった。
友人たちがお母さんは友達のようだ、と話すのをぼんやりと聞いていた記憶がある。
それでも、母は私を愛してくれたし、私のために働いてくれたのだ。



「アレン。ごはんできたよ」
「ありがとう、シノ。今日も日本食?」
「ダメだった?」
「いや、好きだからいいよ。お昼はいつもジャンクフードだし」

にっこりと微笑むアレンはどこか牧師様の面影を感じる。もちろん孫なんだからそれは当然のことだけど。彼は牧師様の穏やかなところをよく引き継いでいると思った。
私を見つめる優しい目は、いつも私に安らぎをくれた。

日本で大学生をするアレンは、大学ではいつも人気者だった。
かっこいいだけでなく、日本語も流暢な為、男女問わず多くの人が寄ってくる。
アレンはいつもそれを笑顔で交わす。
左手の薬指に私とおそろいの指輪をはめ、友人たちと遊びに行くこともなく講義が終わればさっさと家に帰ってくる。そして教会の英会話教室でボランティアで英語を教えているのだ。


私は事務の仕事を9時から夕方5時までやって定時で帰らせてもらえる。
小さいけれどとても良心的な会社で就職ができたのは幸運だった。私の英語力がここでも役に立ったのだ。


「これ、なに?」
「肉じゃが。苦手?」
「いや、おいしいな、と思って」
「ありがとう。牧師様も好きだったわ」
「そっか」

二人のささやかな生活が幸せだった。
生まれた場所も育った場所も違う。
小さな戸惑いはいくつもあったけれど、躓くことはない。

私たちは昔、同じ時間を過ごした。
そして今、また同じ時間を過ごしている。
生きている中で、たくさんの人と出会うのに、私にはアレンしかいなかった。
アレンにも私しかいなかったのだ。

どうしてかはわからない。

でも、まるで初めから決まっていたかのように、私たちは二人でいる。




   *   *   *




アレンが大学4年になった夏休み。
私はアレンが一時帰国するアメリカへ招待された。
アレンが、私を家族に紹介する、と言ったからだ。

仕事が決まったら結婚しよう。

女の子なら一度はされてみたいプロポーズを、クルージングディナーに誘われた時に、両手で抱えきれないほどのバラの花束と共に受け取った。
返事はもちろん決まっている。

愛してる、愛してると甘いセリフを毎日のように囁いてくれる彼を、私も愛している。





「飛行機疲れたでしょ?」
「うん。なんか腰が痛くなって眠れなかったよ」
「今夜はゆっくり休めばいいよ」
「そうだね」
日本の車とは逆の場所にある運転席でアレンは慣れた手つきでハンドルを操作する。

広い広い空に、どこまでもまっすぐ続く長い道。
私はアメリカへやってきた。
牧師様の故郷へ。



初めての場所に来たはずなのに、なんだか懐かしいと感じたのは、彼の家の近くを通った時だった。
木々が生い茂る緑いっぱいに包まれた道は、あの幼い日々を映し出すかのようにキラキラと輝いていた。
ふと人影が見えた。
それは一瞬のことで、あっという間に過ぎ去ってしまったけれど。

「牧師様?」
「え?」
隣にいるアレンが私の声に反応する。

「ううん、なんでもない。この道、あの教会へ続く道に似てるね」
「ああ、そうなんだよ。不思議だよね。少し歩こうか?」
「うん」

車を止めて、外に出る。
ふわりと包み込むような優しい風が心地良かった。

日本とアメリカ。
何千マイルも離れた場所なのに。
こんなにもよく似た場所があるなんて。

空はどこまでも澄んでいた。

瞳を閉じて、身体中に初めての風を受ける。
かすかに笑い声が聞こえ、懐かしい記憶が蘇ってくる。
しばらくそうしていると、アレンが手を握ってくれた。


開いた瞳に飛び込んできたのは小さな子どもたちの姿。
そしてそれを見守る老夫婦の笑顔だった。






おわり










あとがき

このお話もまた随分前に書いてたものです。
えー、私は無宗教ですが。
高校時代、教会の英会話教室に通っていたことがあって・・・(安かったので)、少しだけ聖書を勉強させてもらったことがあります。その影響から書いたモノデス。

教会は好きです。
パイプオルガンとステンドグラス、初めて見たときは本当に感動でした。

さらっと葬儀のことを流しましたが、アメリカ人にとっては火葬は恐怖らしいですね・・・。



2008年8月  蒼乃 昊





    




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