実はわたし、結婚してます〜番外編〜
わたしがスパイ!?
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「おはようございます」
思わずため息が出てしまいそうなくらい鬱々気分で営業部のオフィスへ入ると、すでにそこには営業部長の姿があるではないですか。
わたしの出勤時間かなり早いほうなんですけどね。
上には上がいるってことですね。
「おはようございます、井原さん。なんだかお疲れのようですね」
「あ、いえそんなことはないんです! 部長もお早いですね」
「ああ、今日は子どもを学校に連れていくついでに車で出勤したので、かなり早く着いてしまった」
ははは、と笑っている姿は優しいマイホームパパ!さすが愛妻家と評判高いだけのことはあります。温和な性格で、忙しい営業部の中でも常に落ち着いている部長は、本当にみなさんから信頼されているんですよね。
「井原さんも早いですね。普段からいつもこんな時間に?」
「あ、はい。あまり残業をしたくないので、早めに来てるんです。それでついつい営業部でも……」
「そうですか。営業は随分違うので大変でしょう?」
「新しいことを覚えるのはとても面白いです。それにわたし営業経験がないので、勉強になります」
「ああ、そうでしたね」
そんな会話をしていると、パラパラと出勤してきます。みなさんけっこう早い時間に出勤されているんですね。驚きを隠せず出勤してくる社員さんたちに挨拶をしていると、
「井原さん、今日もよろしくお願いしますね」
部長はそう言って立ち上がりました。どちらかに出かけるのでしょう。わたしは頭を下げて見送り、自分の席へとつきました。
さてさて、今日も任務開始です!
「井原さん、今日から派遣の方いらっしゃるみたい。少しは楽になりますよ」
「そうなんですか?」
「といっても最初は研修とかあるんですけど」
「ですよね……」
「また市原さんに食われちゃうかな〜、短期の派遣だと後腐れないですもんね。正社員だと気まずくなったら異動の希望を出すか、辞めるしかないし」
奥山さんは出勤してくるなりいろいろと情報を耳に入れてくれます。
相変わらず今日もオシャレな洋服を纏い、メイクもバッチリですね。聞いたところによると奥山さんはやっぱりもてるようで、男性社員からは高嶺の花と呼ばれているんだそうです。
でも彼氏がいるとかなんとかは聞いたことがなくて、ちょっと謎めいてるところがまた魅力なんだそうですよ。言われてみればそうなんですよね。
「井原さんて、小石川専務とお知り合いなんですか?」
どきり、と胸が高鳴ります。どうしてここで玲斗の名前がでてくるのでしょう。
「小石川……専務と、ですか?」
「ええ、営業部への臨時出向も小石川さんのご推薦だって聞きましたよ?」
う、すごい情報通です。
一体どこからそんな情報を得ていらっしゃるのでしょう。
まさかここで、実はわたし結婚してるんです。そして一緒に暮らしているんです。なんてことを言えるはずもございません。
「以前、仕事でご一緒したことがあって、それで」
「へー、羨ましい。小石川さんて彼女とかいらっしゃるのかな」
「さ、さあ。どうなんでしょう……」
一応、妻がいるみたいです。あ、彼女もいるかもしれませんが。
「まあ、いても当然ですよね」
奥山さんはにっこり笑うと、自分の席に着きます。そろそろ始業時間ですからね。
本当に美人な上、親切な人で、奥山さんのおかげでなんとか馴染めてきてます。
――なーんてことを報告したら、玲斗から一言返信が。
”千穂の感想はいらない”
なんなんですか、このえらそーな態度は。いや、偉いんですけど。
本当に、この忙しい仕事をこなしながら、玲斗からの指令もしっかりこなしてるんですよ。一体何の文句があるっていうんですか。
お昼休みやちょっとした休憩時間、その他仕事中の会話なども、仕事の合間になるべく細かく玲斗に報告してるんですからね!
けれど、本当にこんななんでもないような会話をなぜ玲斗は知りたがるのでしょうか。
もしや……ストーカーとか!?
まさかね、まさか、そんな自分の夫がストーカーだなんて、犯罪者になったら困りますよっ。
けれどもしそうだったらわたしも共犯者!?
怪しげな方向に思考が進んでいこうとしているところで、名前を呼ぶ声が聞こえてきて我にかえります。
「……井原さん?」
「は、はいっ!!」
うわ、出た! 噂の市原プレイボーイさん。
「な、なにか?」
「これ、作成してくれた資料なんだけど……」
市原さんは申し訳なさそうな顔をしながら、間違いの指摘とともに、ひとつひとつ丁寧に教えてくれました。その紳士的な態度は確かに好感がもてます。でも、なんなのでしょう。どこか違和感を覚えてしまうんですよね。
その違和感は消えることなく、市原さんの説明が終わるまで続いていました。
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