実はわたし、結婚してます〜番外編〜



わたしがスパイ!?



「井原さん、専務がお呼びですよ」

 仕事中、いきなり課長から声をかけられ、一瞬ぽかーんとしてしまいました。だって普段仕事中に玲斗がわたしを呼び出すなんてことあまりないですからね。そうなるとわたし、なにか失敗でもしたのでしょうか。やや不安に思いながらも立ち上がります。

「すぐに行ったほうがいいですよね」
「うん、たぶんね」
「すみません。少し席を外します」
「いってらっしゃい」

 部署の人たちに見送られ、一体何をやらかしてしまったのだろう、とあれこれ考えてみますが思い当たる節はありません。部署内のことならば一番に課長からお叱りを受けるのが普通ですからね。
 玲斗の仕事部屋まで来ると、なにやらドキドキしてきます。
 この部屋、結構危険なんですよ。
 玲斗は社内でもお偉いさんですから当然ながら個室を与えられています。そう、個室。これが問題なんですよ。
 ノックをすると中からひくーい声が。

「失礼します」

 おそるおそる扉を開き中へと足を踏み入れます。

「早かったな。座れ」

 うわー、偉そうに命令してますよ。いえ、まあ偉いんですけどね。
 玲斗に言われた通りにソファに軽く腰をおろすと、玲斗は向かいに座りました。
 あれ?
 やっぱりこれはお仕事のようです。そりゃそうですよね、明らかに今は勤務中ですから。これが休憩中だとなぜか密着して座ったり……

「おまえ、なにヤラシイこと想像してんだよ」
「え!?」

 な、なんで!?
 この人、人の心でも読めるんでしょーか?!

「……ほんっとわかりやすいな」

 呆れたように言う玲斗に返す言葉も見つかりません。

「あのさ」
「はいっ」

 ぎゃっ、声が裏返ってしまいました。

「千穂に、スパイをやってもらいたい」
「す、すぱい?」

 すぱいってスパイスのことじゃないですよね。すぱい、すぱい・・・すっぱい・・・?

「そう、スパイ」
「すぱい」
「おう」
「すぱい?」
「そう、密偵」

 ……密偵?つまり、スパイ。

「え、えええええええ!?」

 な、なにを言ってるんでしょうか、この人は。どこぞの外国映画じゃあるまいし、なんの冗談を口にしてるんですか。

「まぁ、スパイってのは大げさだが、そもそも千穂にスパイなんて言葉は絶対に合わないしな」
「そ、そう、無理無理。わたしそんなに美人じゃないし、胸だって大きくないし!」
「あのさ、別に女を武器にして男から企業秘密を聞きだせとかそういう仕事じゃないし。つーか、そういう仕事を俺が千穂にやらせるわけないだろ」

 そうですよね。

「営業部に入り込んで、女子トークを逐一報告してほしい」
「女子トーク?」
「ああ」

 なんだか新鮮ですね。玲斗の口から女子トークという言葉が出るなんて。

「別に難しい事じゃないだろ」
「そ、それはそうだけど」

 わたし営業部じゃないのにどうやって営業部の女性たちの輪に入ればいいのでしょう。

「これから営業部は繁忙期に入る。派遣社員も何人か短期で入れるが、他の部署からも応援することにもなっている。それで、千穂に一時的に営業部の助っ人として行ってもらいたい」

 なるほど、そういうことなんですね。

「いいか。とりあえずくだらないと思うことでも何でも、とにかくすべて俺に報告するんだ」
「はい」

 って、わたし思わず承諾しちゃいましたよー!!
 いえいえいえ、難しいことではないとはいえ、そんなスパイなんてわたしには無理……だなんてもはや言えない雰囲気です。
 玲斗はすでに満足げに頷いてます。

 でも無理だといえば、盗聴器でもつけてやるよ、とか言い出しかねませんから――ああ、言いそう、絶対に言いそうですよ!とにかくやるしかありません。
 玲斗はわたしの旦那様で、上司ですからね。逆らえるはずもございません。ううう。

「というわけだ、これで仕事の話は終わり」
「……はい」

 やればいいんでしょ、やれば。なかばやけっぱちのような気持ちになりながら仕事に戻ろうと立ち上がったところで、玲斗に腕を掴まれます。

「れ、玲斗?」

 やばいです。この感じ、とてもやばいですよ。
 高鳴る鼓動が、玲斗に聞こえそうなほど近寄ってきます。
 思わず瞳を閉じると、玲斗の唇が重なります。舐めるように舌を滑らせてあっさりとわたしの口の中へと侵入してきました。とろけそうな甘い甘いキスにわたしはどうしても拒むことはできなくて、受け入れてしまうのです。
 またこのまま流されてしまうのでしょうか。
 と思っていたら、いきなり玲斗の身体が離れました。

「続きは家に帰ってからだな」
「え?」
「何期待してんだよ、ばーか」

 呆然としているわたしにつんと、でこピンをすると玲斗はさっさと自分のデスクに戻り、目も合わせずパソコンを睨むように見つめ始めました。
 ホッとしながらもどこか淋しいような気持ちになりながら、わたしも失礼しました、と小さく告げて部屋をでました。
 おでこ、痛いんですけど。すりすりとさすりながらはぁ、とため息。
 スパイだなんて、わたしに務まるのでしょうか。



5周年記念話です。
本編とは関係ありませんが、時期的にはシーズン1か、それ以前の頃ですね。
かるーく読んでいただければと思います。









   



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