実はわたし、結婚してます





月に叢雲、花に風




「お茶、淹れるね」
「・・・」

わたしの言葉にはまったく返事をせず、奈々ちゃんは広いリビングルームをきょろきょろと見回していました。
そしていつもわたしと玲斗が並んで座っているソファに座りました。

「こんなところで暮らすってさぞかしいい気分よね」
「え?」

奈々ちゃんがポツリとつぶやいた言葉が、わたしは聞き取れませんでした。
わたしはお茶をソファの前のローテーブルに置き、奈々ちゃんの前にそっと置きました。けれど奈々ちゃんはまったく眼中にないと言った風に、他の家具を眺めていました。
わたしはどうしていいかわからず、奈々ちゃんの座る斜め前くらいにカーペットの上に座りました。
どうしましょう。
玲斗が帰ってきたらどう説明すればいいのでしょう。
玲斗がこの場所を教えたって言ってたけど、玲斗が奈々ちゃんをここに呼んだのでしょうか。
でも、奈々ちゃんと関わるなといったのは玲斗なのに、なぜそんなことをするのでしょうか。
わたしの頭の中はパンクしそうなくらい混乱していました。
は!
そういえば、わたし食事の準備何もしてませんよ!
ヤバイです。
いや、ヤバイってものじゃないですよ〜!!
家にいるのに食事を作ってないって玲斗が知ったら・・・きゃー!想像しただけで恐ろしいです。
でもでも、お客様がいるのに、わたしが食事作りをするわけにはいかないですよね。その辺は玲斗に理解してもらうしかありません。

「ねえ、どうやって小石川さんを落としたの?」
「え?」

落とした?
なんで玲斗を落とすんですか?落とした覚えなんてありません。

「まさかとは思うけど身体で誘った?ねえ、何したの?」
「な、なんにもしてないよ・・・」
「なんにもしてないのに、結婚までできるんだ。セレブと」

結婚・・・。
なんにもしてないのに・・・してしまいました、結婚。
だってわたしがしたことといったら借金と居候・・・うわ最悪!
よく考えてみると、借金して拉致されて居候して、えっちして・・・結婚ですよ!いいんですか、わたし、これで!

「今日、小石川さんのオフィスまで行ったの」
「え?」

今、奈々ちゃんはなんていいました?
玲斗のオフィスまで・・・ってことですか?

「彼、あたしにも興味もってくれたみたい。ほら、可愛いし、スタイルもいいから。千穂より全然いい女だと思うし」
「う、うん・・・そうだよね」

そんな、奈々ちゃんのほうがいい女ってのは当たり前な話ですよ。それに玲斗はいい女に目がないですから・・・。
でも・・・。
玲斗が奈々ちゃんを許すとは思えないのです。

「だったら、わたしがここにいたほうがいいと思わない?」
「え?」
「わたしが千穂のかわりに小石川さんの妻になってもいいでしょ?」
「・・・だって・・・奈々ちゃんには佐藤さんて人が・・」
「何で千穂が知ってんの」

奈々ちゃんはいきなり形相が変わってものすごく怖い顔になりました。

「あいつはサイテー男よ。愛してるのはお前だけだとか言って、ふたりでどこかで一緒に幸せに暮らそうって仕事まで辞めてついていったのに、借金ばっかりだし、わたしを水商売で働かせて、その間にまた女つくってどこかへ行ったのよ。あんなバカ男絶対許さないわ」
「・・・・・・」

幸せに、暮らしてたんじゃなかったんですね。
だから奈々ちゃんは最初に再会したとき、疲れ果てたような顔をしていたのでしょうか。

「でも、奈々ちゃんだって同じ事したんだよね・・・」
「はぁ?なんで同じなのよ。あたしは別に何も悪いことなんてしてない」

どうしましょう。
わたしには奈々ちゃんの言っていることがさっぱりわかりません。

「千穂、ねえもうやめなさいよ。あんたにはあんたに似合う人がいっぱいいるわよ。こんなセレブ生活なんてあんたに似合わないんだから」
「それは・・・」

確かにそうです。
玲斗はお金持ちだし、時々金銭感覚の違いを実感させられますから。
でも・・・

「わたしは玲斗が好きだから、わたしから別れることはできないよ。別れるとしたらそれは、玲斗がわたしと別れたいって思ったときだから」
「何言ってんの!なんであんたみたいなしょーもない女が小石川さんみたいな人と結婚できてんのよ!おかしいじゃないの!どうしてあんたなの!!なんであんただけが幸せなのよ!」

それはわたしの知っている奈々ちゃんではありませんでした。
奈々ちゃんはイキナリ立ち上がると、わたしの身体に乗りかかるようにしてそう叫びました。きっと殴られる、もしかするとクビを閉められるかもしれない、そんな恐怖にかられました。
それくらい奈々ちゃんのその姿があまりにも怖くて身動きすらできなくなってしまいました。
玲斗!
そう心の中で叫んだ瞬間。

「もう見苦しいマネはやめろ。それが本音だろ」
「こ、こいし・・・かわ・・さん」

玲斗の声に奈々ちゃんの手がとまりました。わたしはやっと自分の手が動く感覚に気づいて、奈々ちゃんから逃れるように、玲斗の方へ這うようにして近づきました。
なんだか絶対間抜けな姿です。でも、どうしても力が入らなかったのです。

「千穂」
「玲斗・・・」

玲斗の姿を見て、あまりにも安心できたのか、自分の瞳からポロポロと涙がこぼれてきてしまいました。

「悪かったな、千穂。でも、千穂は知っておいてほしいと思ったんだ。世の中にはこういう人間もいるってことを」
「え?」
「今日、この女が俺のところまで来たんだ。そのときに、ここへ来るように工作したのは俺だ。いとも簡単にひっかかってくれた。千穂、今のがこの女の本音だよ。わかったか」
「わかった・・・って」

一体なにがなんやら。

「司馬奈々が自分の利益しか考えない女だということだ」

玲斗は奈々ちゃんに向かって、ハッキリとそういった。
けれど奈々ちゃんも負けてはいなかった。

「じ、自分を大切にして何が悪いの?」
「悪くないさ。周りに迷惑かけなければな」
「迷惑なんてかけてないわ!」

玲斗に向かって・・・大声をあげました。

「会社を無断欠勤した挙句、1ヶ月以上も過ぎて退職届を送ってきたのに、迷惑かけてないというのか?仕事に関してもプライベートに関しても、迷惑かけられてるほうはたまったもんじゃねーんだよ。お前と佐藤陽一がどれだけたくさんの人間に迷惑かけたか、わかってんのか!千穂だってそうだ。お前の借金を抱えてどれだけ苦労したと思ってる!」
「うそ・・千穂は貯金をためてたわ。だからすぐに貸してくれたじゃない。都会にいても使い道がないから・・・って」
「マジでバカ女だな。千穂はオンボロアパートで、必死に節約して借金返済してたんだよ。なんで関係もないお前の借金を千穂が背負わなきゃならないんだ」
「だって千穂は親友だもの・・」
「親友?よく言えたもんだな。お前みたいな女と千穂は全然違うんだよ。何を勘違いしてんのか、俺がお前みたいな女を相手にするわけねーだろ。駆け落ちしたお前らの動向はある程度知ってる。万引き、強盗未遂・・・犯罪まがいのことをしていたこともな。今度こそ、俺は制裁を与える。正当な手段でな」
「やだ・・・やめて・・・そんなことしたら・・」
「黙れ!!さっさとここから出て行けよ。今度千穂に近づくようなマネしたら、この程度じゃすまねーぞ!!」

「れ、玲斗・・」

怖いです。
ビリビリと怒りが伝わってきます。
玲斗は、本当に苦しんだんでしょう。大変だったんだと思いました。
奈々ちゃんは唇をかみ締めながら部屋を飛び出していきました。
わたしは何も言うことができませんでした。

玲斗は、わたしのこともちゃんと考えていてくれたってことですよね。
いつも感じていた玲斗の優しさはうそではなかったということですよね。

「千穂、ごめん・・・。大丈夫か?」

玲斗はもう一度謝りました。
わたしの身体を抱きかかえるようにしてその場に一緒に座り込みました。

「うん。平気」
「世の中には千穂の理解しがたい人間がいっぱいいる」
「うん・・・そうみたい。奈々ちゃんが・・・あんなこと思ってたなんて、わたし・・・」

またしても涙がボロボロとこぼれてきてしまいました。

「千穂」
「玲斗・・・」

わたしたちはお互い見つめあいました。
わたしのヒーローは玲斗だけです。
玲斗だけ・・・。
そう思った瞬間、わたしの意識はふっと途切れてしまったのです。

「千穂!!」

かすかに、玲斗がわたしを呼ぶ声が聞こえました。



   









   



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