実はわたし、結婚してます



父になる日





自宅マンションに戻ると、玄関には見慣れぬ大きな女性の靴があった。不思議に思ったその瞬間にでかい女が俺の前に立ちはだかって、睨みつけてきた。

「あなたが小石川玲斗ね」
その声と同時に千穂の焦った声がその女を「お姉ちゃん!」と呼んだ。

お姉ちゃん?
千穂の姉だというのか。
俺の頭の中ではかなり混乱していた。
なぜなら、目の前にいるのはどう見ても男だからだ。
確かに見た目は女に近い。服装も女のものだ。
しかし・・・。

千穂の実家に行ったとき、姉が一人いることを告げられたが会うことはなかった。
その姉は海外に滞在していてたまにしか戻ってこないということだったからだ。その姉というのがこれなのか。

「私は井原麻夜。千穂の姉よ」

その言葉に確信した。
千穂の姉は、俺とふたりだけで話がしたいから、このまま外へ出ようと言い出した。
戸惑っている千穂を静止し、俺を睨みつけたままの千穂の姉に黙って頷いた。
ちらりと千穂を見ると、かなり不安そうな顔をしている。
千穂のやつ、そんなに俺を信用していないのか・・・。俺がオマエ以外の女に手を出すかよ。たとえ千穂の姉だとしても、こんなオトコオンナに。

千穂の姉はすぐ近くのカフェへと俺を連れて行った。
向かい合わせに座り、改めてよく見てみると、背は俺よりも高いし、骨格からして男性に近いものがある。
しかし、普通に見る分には女と変わらない。
おそらく、ここにいる客の誰もがここにいるのは女だと疑わないだろう。

「最初に、あなたのご想像通り、私はもともと男よ。性同一障害というのを聞いたことがあるでしょ。手術して今は戸籍も女だけれどね。だから、というわけではないけれど私の前で両親の時みたいに猫かぶったりしても無駄よ。これでもいろんな人間を見てきたから、だいたいわかるの」

すべて見透かしたように言った。
やはり、というべきか。
それならそれでやりやすいかもしれない。

「そうか。で話とは?」

俺は普段の口調で対応することに決めた。本能で、このオンナにあれこれ見繕いは通用しないと思った。

「単刀直入に聞くわ。あなた、なぜ千穂と結婚したの」
「なぜ?千穂と結婚したいと思ったからしただけだ」

俺の言葉に、あまり納得がいかないのか、それとも別の何かを考えているのか、千穂の姉はじっと俺を見つめていた。

「千穂はねぇ、ホント可愛いでしょ?あの子、私がこんなだから、いろいろと苦労したと思うのよ。両親はあまり何も言わなかったけれど、周りからは冷たい目で見られたこともあったの。千穂だってね、随分いじめに遭ったはずよ。でもあの子は私を責めたことは一度もないわ。それどころか私の一番の理解者でいてくれたの。私は千穂が幸せであるならそれでいいのよ」

俺は試されていると感じた。
嘘など言ってもすぐにばれるならすべて本音で話すしかない。

「千穂が幸せかどうかは俺が決めることじゃない。千穂が感じることだ。俺は千穂が幸せを感じられるように努力するだけだ」
「・・・」

「でも、あなたの家随分いいお家のようだけど、千穂が辛い立場になることはないのかしら」
「そのためにこの結婚は秘密にして、いろいろ準備をしてきた」
「ふーん、準備してから結婚、というわけにはいかなかったのかしらね」
「・・・そんなちんたらしてたら千穂が他の男と結婚するだろ」
「・・・」

千穂の姉は、千穂の持つものと同じ純粋な瞳で俺を見る。
俺も負けずに瞳を見つめ返す。
その張り詰めた空間を壊したのは彼女のほうで、コーヒーを口にすると、突然先ほどまでの威圧感が完全になくなった。
そして穏やかな表情で聞いてきた。

「私みたいなのが身内になるのはかまわないの?」
「別に、多少ごちゃごちゃ言うのはいるかもしれないが、俺は気にしない。おそらく俺の両親もだ」
「そう。まあ私はほとんど海外暮らしだから、会う事はほとんどないでしょうけど。千穂がいじめられるのは耐えられないから」
「アンタ・・・千穂のために千穂から離れてるのか」
「当たり前でしょう。なんだかんだ言ったって、好奇な目で見られるものよ。世間ではね」
「そうだな」

千穂の姉はにこりと笑った。
その顔が少しだけ千穂に似ていると思った。
あまり会うことはなくなったが、とても大切な姉がいる・・・千穂は以前少しだけ淋しそうにそう言っていた。

姉、か。

あの恋愛至上主義のうっとおしい俺の姉も、俺の結婚相手を必死で探そうとしてくれているのは姉心というものだろう。
あの姉なりに俺を心配してくれているんだ。彼女の知る俺は、女とは長続きのしない結婚できそうにない男だろうから。

千穂の出産後、うちの家族にもすべてを話すことは決めている。
本当は千穂の妊娠中に、と思っていたが、それは千穂に負担がかかるから、と母親から止められた。
俺には妊婦の気持ちはわからない。が、妊娠初期にすでに危険な目にあわせているため、母親の言うことに素直に従ったのだ。
千穂を守るためだったら、あのババァの言うとおりにするくらいどうってことはない。

「まぁいろいろ思うところはあるけれど、千穂を大事にしてくれてるようで安心したわ」
「・・・」
「それにいろいろ千穂を守ってくれてありがとう」
「何の話だ?」
「気にしないで。一言いいたかっただけよ」

千穂を守る?
もしかして知っているのか。
千穂が抱えていた問題を。ふとそう思った。けれどその確証はなかった。変に話してややこしいことになっても困ると思い、俺もそれ以上はつっこむことはしなかった。

「じゃあ、わたしは行くわ」
「千穂に会って行かないのか」
「もう十分話したわ」
「ふーん」

一体どんな会話をしていたのか気になるが、そういうことは千穂に聞けばいい。

「ほんとは、アンタを一発なぐってやるつもりできたのよ」
「・・・」
「千穂の純潔は一発じゃ足りないけどね」
「じゃあ、殴ればいい」
「そんなことしたら千穂が心配するじゃないの」
「だろうな」
「妊婦にそんな心配させられないでしょ」

それはそうだ。

「小石川玲斗さん」

なんだ、急に。
いきなり態度が軟化した千穂の姉に、俺は少し戸惑う。

「千穂のこと、よろしくお願いいたします」

ずっと上から目線だったオンナが俺に頭を下げる。あまりに突然で、呆然としていると、千穂の姉はにっこりと微笑んで、あっさりと俺の前から立ち去っていく。
颯爽と歩く姿はモデルそのもの。
俺に、千穂の家庭のことはわからない。けれどきっと俺が家のことで重いものを背負っているように、千穂や千穂の姉もまた重いものを背負っているんだろう。
それは決して同じではないけれど、重さを量って比べるものでもない。

俺は千穂の待つ自宅マンションへと急いだ。



   






   



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