蒼き月の調べ


第6章



 海棠家主催のパーティ、というからにはそれなりの規模のものだろうとは思っていたが、予想以上のもので、空音は珍しく緊張気味に控え室の椅子に座っていた。衣装など必要なものはすべて柊弥が用意してくれ、胸にはダイヤのネックレス、そして左の薬指にはクリスマスに贈られた婚約指輪が煌々と光り輝いている。
 ヘアメイクなどすべて終えた空音はいまはひとり、呼ばれるのを待っていた。先ほどまで段取りなどを説明しに和義が来ていたが、彼もまた多忙のようですぐにどこかへ消えてしまった。外に出て気分でも変えてみようとも考えたが、部屋の外にはいつも空音に付き添っているボディガードがふたり、しっかりと立っていて、それも諦めるよりほかなかった。そうしているとノックがしてひょっこりと馴染みの顔が現れた。
「甲斐さん」
「やあ」
 手をあげてまんべんの笑みを浮かべて躊躇なく入ってきた甲斐は空音の姿を見るなり感嘆の声をあげる。
「かわいいなぁ。元が綺麗だからメイクすればさらに映えるなぁ」
 さらりとそう言ってしまえるところがさすが鳳仙甲斐である。お世辞とはわかってはいても褒められると嬉しく、空音は思わず頬を赤らめた。しかし甲斐の正装姿を見ると、甲斐のほうがどうあってもさすがだと思う。もともと端整な面立ちをしているが、こうやってタキシードに身を包むとさらに一層その魅力が増す。このように着飾られるのが初めての自分とは違い、タキシードに着慣れているであろうその堂々たる姿には空音も圧倒されてしまう。
 お金持ちの人間がそうなのか、と言われれば違うような気がする。仕事ができたり、能力のある人間はそれなりの品格も持ち得ているのだろう、というのが当てはまるような気がした。
 甲斐の正装姿に見とれながら、柊弥の姿を思い浮かべていた空音の頬に甲斐の指先がつんっと触れる。
「俺に見惚れてる?柊弥から俺に乗り換えてもいいんだよ?」
 冗談ぽくそういわれ、空音は笑う。
「甲斐さんてば」
 ははは、と笑って言う甲斐の姿に、空音はどこか緊張が解けていくのを感じる。普段は冗談を言ったり、軽い口調で話す甲斐だが、レッスンとなると人が変わったかのように厳しくなる。きっちりとそういう切り替えのできる甲斐に尊敬の念を抱きながらも、こういう場面でいつもと同じように接してもらえることに空音は安堵した。
「甲斐さんの顔を見るとなんだか安心します」
「本当?嬉しいことを言ってくれるなぁ。親戚ってやつだから毎年義理で来てるんだけど、今年は空音ちゃんがいるから俺もはりきっちゃった」
 そう口では言いながらも、甲斐が柊弥のことをただの親戚としてでなく、人としても好意を抱いていること空音は知っている。
「兄貴たちも来ているからあとで紹介するよ。空音ちゃんに会いたがってたし」
「あ、噂のお兄様たちですね」
「そうそう」
 甲斐には兄が二人いる。甲斐を入れてイケメン三兄弟などと呼ばれているのを聞いたこともあった。
「ああ、それから珍しい男がきてたよ」
「珍しい?」
「そう、柊弥の弟の尚弥」
「尚弥さん、ですか?」
 名前しか聞いたことのない柊弥の弟。時々会話には出てくるものの、尚弥は基本的に海棠家とは距離を置き、現在は都心のマンションで独り暮らしをしており、本邸に立ち寄ることもまずないという。柊弥があまり話をしないので、写真等を見たこともなく空音は尚弥の顔すら知らなかった。
「みんな君に興味津々のようだね」
 苦笑気味に呟くと、甲斐は腕時計にちらりと視線を落とす。
 と、同時に部屋の扉がノックされ、同じく正装した柊弥が悠然と姿を現した。
「空音、準備は―――」
 と言いかけたところで甲斐の姿が視界に入った柊弥は、眉根を寄せ小さくため息をつく。
「こんなところにいたのか。どうりで姿が見えないと思ったら」
 これは甲斐に対するものだろう。空音は柊弥と甲斐を交互に見た。
「だって、あれこれ下心のある人たちばっかりで疲れるからさ」
「今に始まったことじゃないだろう」
「そりゃそうだけどさ」
 二人立ち並べばさらに圧倒的な存在感がある。いつもスーツを纏っている柊弥を見慣れているはずの空音だが、この日の姿はまた違った印象がある。
 空音の視線に気づくと、柊弥は小さく笑みを零す。
「空音、よく似合っている」
「柊弥さんも……」
 すごくかっこいい、と告げる前に柊弥に手を差し出され、空音はその手をとってゆっくりと立ち上がった。
「行こうか」
 ドレスの裾を緩やかに翻し、空音は姿勢を正すと柊弥に引かれ歩き出す。その後を追う様に甲斐もまた部屋を出た。

   




   



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