蒼き月の調べ


第5章



「空音、今日一緒に残って勉強していく?」
 放課後、帰り支度をしている空音の傍に夕海が寄ってきて言う。以前はよくクラスメートたちと一緒に勉強していた。
「そうしたいけど…」
「今は、無理か…、いろいろ大変よね、空音もそういえばSPみたいなのつけられてるでしょ?」
 言われて、空音は困ったように笑う。
「ボディガードだって」
「へえ、そりゃまた厳重な。じゃあ修学旅行とか行けないんじゃないの?」
「そっか、修学旅行」
 すっかり忘れていたが、高校2年生の春休み前には修学旅行がある。それぞれ家庭の予算や生徒の希望によって行き先はいくつかの場所から事前に選ぶことが出来る。マンモス校ゆえの生徒の分散のためでもある。空音は自分の環境を考えて一番予算も安く、これまでの旅行積立金で行ける京都を選んでいたが、このような事態になってしまっては京都さえ行けるかどうかわからないような気がしてきた。
「いっそ海外とかの方が行きやすかったかもねえ」
 夕海が冗談ぽく笑って言う。空音もつられて笑いながら、帰ったら聞いてみよう、と思う。もう自分勝手な行動で周りに迷惑をかけるわけにはいかない。

「まぁ、修学旅行。空音さんはどちらへいらっしゃるの?」
 海棠家に戻り、さっそく峰子に話すと、ことのほか楽しそうに聞き返してもらえた。和義も海棠家を訪れていたので、一緒に聞いてもらうことにした。
「京都です」
「あら、いいわね。京都は私の知人もたくさん住んでおりますよ」
「そうなんですか?」
「ええ」
「あの、行っても大丈夫ですか?」
「まあ、そんなの当たり前でしょう、ねぇ?」
 峰子が同意を求めると、和義も笑顔で頷く。
「もちろん大丈夫ですよ。柊弥様も行くなとはおっしゃらないと思いますが」
「なら、よかったです」
 ホッとしながら、空音は笑顔を見せた。
「ただ、ボディガードもご一緒するかと思いますが」
 ――やっぱりそうなるんだ。と少し落胆しながらも、行ける喜びの方が勝った。自分にボディガードなんて、と思ってしまったが、峰子や和義からもその方がいいと言われ、しぶしぶ納得した空音だったが、やはり自分のゆく先々に誰かがついてくるというのは居心地の悪い気分になってしまう。柊弥とでかけるときには必ず誰かがついてきていたので、同じようなものだと思えばいいのかもしれないが、どうしても普通の感覚とは違う。
「ああ、そうだ。忘れないうちに、私も空音さんに用があったのでお伝えしておきます」
「なんですか?」
「これを。柊弥様より預かってきました」
 そう言って和義から手渡されたのは、携帯電話だ。見た目は小さくてとても可愛らしいデザインである。
「使えないって、言ったんですけど」
「子ども用の簡単なものです。防犯にも役立ちますし。受発信だけはできるように、私がお教えいたしますから」
 にっこりとそう言われ、空音は言葉を失った。そのかわり頬を少し膨らませると、それをみた峰子がくすくすと笑っている。
「携帯電話にはGPS機能といって、空音さんの居場所がすぐにわかる機能がついているんですよ。柊弥さんは空音さんのことがよほど心配なのでしょう」
 そんな小さな子どものように思われているのだろうか、と思うと少々落ち込んでしまう。ボディガードまでつけられ、そのうえ居場所を常に把握されなければならないほど空音は信用がないということだろうか。確かに黙って逃げ出してしまったことは悪かったと思っている空音だが、あれ以来、どこへ行くにも行き先は告げているし、何かあればすべて話すようにしている。婚約者というよりは明らかに柊弥は保護者である。
「ご友人もみなさんお持ちでしょう?」
「え、あ、はい」
 そういえば海棠家にきてからというもの、友人たちとはほとんど連絡手段を失っていた。祖母と住んでいた頃は自宅の電話で話をしていたことも多かった空音だが、海棠家では遠慮していたし、友人たちも海棠家に電話をかけてくるようなことは、大事な用でもない限りほとんどない。そう考えて和義の顔を見上げると、やはりにっこりと微笑んでいる。
 すごいなぁ、と空音はいつも彼を見て思うのだ。柊弥とはまた違った意味で尊敬している。柊弥の傍にいて常に的確に彼の意思を汲み取っている姿を見てもそうだが、空音の疑問や、心に感じたことを口に出さなくても当たり前のように読み取って、答えを与えてくれる。人の話を聞くのが上手な人はたくさんいるだろうが、こんな風に言葉にしなくても、人の心に寄り添える人はなかなかいないのではないかと思う。
「きっと柊弥様も、空音さんともっとたくさんお話をなさりたいんだと思いますよ」
 極めつけにそんなことを言われ、空音は真っ赤になりながら、自分の手元にやってきた携帯電話に視線を落とした。

   




   



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