蒼き月の調べ


第5章



 退院してから2週間後、やっと学校に行けることになった空音は少し緊張気味に登校した。ロータリーのある校門から車の送迎で、学校関係者以外入れないようになっている入り口からだ。学校で、あれこれ騒がれるのでは、と柊弥が心配していたが、特に大きく騒がれるようなこともなく、クラスメートたちも普通に迎えてくれた。そこには担任の須山始め、学校の教師たちの配慮あってのことだろう。
 空音が休んでいる間に学園祭も終わり、お祭りモードだった校内はいつの間にやら期末試験に向け、ピリピリとした空気が流れていた。ある意味、生徒たちは自分の試験の行方の方が心配なのである。
 そのことを週末に海棠家を訪れた柊弥に話すと、心底安堵していた。
「冬休みはいつからだ?」
「12月25日からです」
「そうか」
 あの日以来、空音はふたりきりになると緊張して顔を合わせづらくなった。一応婚約者ということを了承してしまった為に、これまでの関係がまた違ったものになるのだろうか、などあれやこれやと考えてしまう。けれども目の前の柊弥は特に変化のある様子でもなく、平然としている。軽く触れるだけだったファーストキスのことも全く気にしていないようで、空音は自分だけがあまりにも子どもなのだと切なくなる。
「年明けに海棠家主催のパーティがある」
「はい」
 柊弥は真剣な眼差しで空音を見つめた。こういうときは大事な話をするときだと、空音もわかるため、持っていたシャープペンをテーブルの上に置いた。
「空音は高校生なので公の場には顔を出さなくてもいいよう配慮するが、新年のパーティだけには出席してもらいたいのだが」
「はい…」
「その場で正式に婚約発表ということになると思う」
 最後には空音の顔色を伺うように言うので、空音は微笑んだ。
「柊弥さんにすべておまかせします。でも、柊弥さんのご両親はご存知なんですか?」
「ああ。今は海外にいるが、近々帰ってくる。その時に会えればいいと思っている」
 どこか難しい顔をしている柊弥に、空音は少し心配になる、柊弥の口から両親の話を聞いたことは一度もない。峰子から海外に在住しているのだと聞いたことはあったが本当に知っているのはそれだけだった。
「反対されているんですか?」
「それはない。ただ、空音を少し驚かせてしまうと思う」
 どういう意味か分からず空音は首をかしげたが、柊弥が口を閉ざしてしまったので、空音も深く追求はしなかった。

「で、今空音は何をしていたんだ?」
「勉強です。来週から期末テストだから」
 柊弥がくるというので、リビングルームのようになっている部屋のテーブルの上で勉強をしながら待っていた。峰子がいるときや、和義や甲斐が訪れるときもだいたいこの部屋で出迎えることになっているからだ。それに使用人の女性が常にいてくれるので、私室で迎えてまた柊弥に叱られることもない。この海棠家本邸はかなりの豪邸で、空音にもいくつくらい部屋があるのかいまだわからない。にもかかわらず峰子は広い豪邸の一部しか使用しておらず、それにならうように空音も生活する範囲は狭い。
「期末テストか……」
「どうかしましたか?」
「いや」
 柊弥が苦笑しているのを見て、空音は不思議に思う。なにかおかしなことを言ってしまっただろうか。
「柊弥さんて数学得意でした?」
「まあ、それなりにできたとは思うが」
 それを聞いて、空音はおそるおそる数学の問題集を目の前に取り出した。
「これなんですけど」
 たぶん、なにかしていないと空音自身も落ち着かないのだ。勉強をしていたのだから、その続きをすればいい。柊弥は問題集を凝視する。まさか空音に会いにきて数学を教えるはめになるとは夢にも思っていなかったのだろう。どこか複雑気味にペンをとると、空音に向き合う。空音はホッとしたように、姿勢を正した。

   




   



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