蒼き月の調べ

第2章



 突然孫から夕食の席へと招かれ、怪訝そうな表情を浮かべ車から降りてきた峰子は、その場に柊弥の秘書だけでなく空音と鳳仙甲斐がいることに驚きを隠せないようだった。和義から簡単に説明を受け、なるほど、とすぐに理解したように頷いた峰子は空音の知るいつもの峰子の顔だった。
「どなたかが空音さんのことを調べてまわっているというお話を聞いて警戒していたのですけど、柊弥さんでしたのね」
 ちらりと柊弥を見やりながら峰子が微笑むと、柊弥は憮然とした態度で何も答えず、話を逸らすかのように空音に視線を向ける。
「好みのものはあるか」
「好み?」
「好きな食べ物はございますか?」
 何の好みかと考えている空音にすかさず和義が口を挟んで言葉の補足をする。
「何でも食べます」
「特にお好きなものはございませんか?」
「好きなもの」
 空音は首をかしげた。
「まあ、宮田さんは柊弥さんの通訳までなさっていらっしゃるの?」
 空音と和義のやりとりを見守りながら峰子はくすくすと笑い出す。柊弥が眉間に皺を寄せると、峰子は楽しそうに言葉をつないだ。
「確かに柊弥さんは言葉が足りませんものね。昔はおしゃべりな男の子だったのですけど、いつの間にこのように無口になってしまったのでしょう」
「そうそう、イタズラ好きの負けず嫌いでね」
 甲斐までもが楽しそうに笑っている。
「空音さん、遠慮などなさらなくてもよいのですよ」
 大人たちの視線を受けながら空音が口にしたのは、
「アイスクリームが好きです」
 その意外な一言に、一瞬静かな間が空いた。
「わかるわ。まだまだ残暑が厳しいですものね。デザートに出していただきましょう」
 一番に口を開いた峰子が笑顔でそう告げると、空音もにこりと微笑んだ。
 一行は専用の入り口からエレベーターへと乗り込む。空音が学校の制服のままであるため、ドレスコードを気にしなくてもよい、ホテルメロディアーナ内にある柊弥専用のオーナーズルームにて食事をとることになった。

 全員が席につき、コース料理が運ばれてくると、峰子が柊弥に尋ねる。
「柊弥さん、この後のご予定は?」
「なにも。お二人は屋敷のほうまでお送りいたしますので」
「あら、では今夜はお泊りになっていかれるの?」
「はい。お婆様にお話もございますし」
「そうですか」
 静かな柊弥の声に峰子は少しだけ表情を変えたが、それに気づいた者はいなかった。
「柊弥さんはどうして峰子さんと一緒にお住まいにならないのですか?」
 あんなに広いお屋敷なのに、と言い含んだ空音の疑問に峰子がそれはね、とすかさず答える。
「柊弥さんは仕事人間ですから、家に帰る間も惜しいのですって」
「じゃあ、いつもはどこに住んでいるんですか?」
「このお部屋だったり、オフィスビルのペントハウスだったり、どうやら住まいはあちこちにあるようですよ」
 笑いながら峰子が言うと、空音は驚いたように柊弥を見た。
「仮眠できる場所があればどこでもいい」
「自分の枕じゃなければ寝られないってことはないんですか?」
 空音は自分愛用の枕とお気に入りのぬいぐるみが傍にないと落ち着かない。大の大人の男に対してそれと一緒にはできないだろうが、そんなに日々寝る場所が変わって熟睡できるものなのか不思議でならない。
「もう慣れている」
「いい加減そろそろ身を固めて落ち着く場所を見つけてほしいものですけれどね」
 言外に早く結婚をしてほしいと匂わせる峰子の言葉に、柊弥はもうその台詞は聞き飽きているというようにさらりと受け流す。その様子から空音は柊弥が結婚はしていないのだろうかと首をかしげた。甲斐と和義がくすくすと笑みを浮かべていると峰子はにっこり笑う。
「お二人もですよ。そろそろ良い方を見つけなさいませ」
「これはこれは、峰子様にお小言をくらうとは思いませんでしたよ」
 甲斐が肩を竦めて言うと、同感だというように和義も苦笑した。
 食事の席では特になにか重要な話をするというわけでもなく、甲斐の海外生活の話や、空音の学校生活の話題で和やかに時間が過ぎていった。料理の最後には空音所望の抹茶のアイスクリームが振舞われ、峰子とともに堪能した。 


   




   



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