サクラの木


第8話 1年後

(2)

 
沢井 琴音様

 手紙、ありがとう。
 まさか沢井さんからこんな風に手紙をもらうなんて思ってもいなかったので驚きました。母が話したことも、そして俺が沢井さんに送ろうと思っていた絵を母が手渡したことも聞きました。
 子どもの頃、二十歳なんてずっと先のことだと思っていました。二十歳まで生きられないかもしれない、と聞いてもどこか信じられなくて、なぜなら自分は生きているし、他の子となにも変わらなかったからです。
 けれど中学生になり高校生になり、もうすぐその二十歳という年齢に近づいてくると、俺の中で死への恐怖や、どうしようもない不安が襲ってきてはイライラして、何かに八つ当たりをするようになって、時には沢井さんには言えないような悪いことをしたこともありました。それでもどこかで自分自身を失いたくないという思いからか学校では必死で優等生を演じてきました。けれどいつしか心から笑うことができなくなったのは事実です。
 そんなとき、学園祭でたまたま筝曲部の演奏を聞く機会があり、沢井さんが『さくら』を琴で演奏する姿を見て、いつだったか沢井さんとふたりで見上げた桜の木を思い出しました。あの頃はただ毎日が楽しくて、今思えば夢のようでした。心から笑っていられたあの頃が懐かしくて、素直に感動しました。そしてあの時の桜の木を描きたいと思ったのです。けれど荒れた気持ちのままあの美しい思い出をどうしても描くことはできず、その時は体育館裏の桜の木を描くことにしました。それはたぶん、あの日ふたりで見た桜の木によく似ていたからだと思います。心の中でいつも満開の花を咲かせていた思い出の桜の木を描いたものは、今、沢井さんの手元にあります。それが本当に描きたかった『サクラの木』です。
 3年生で沢井さんと同じクラスになったとき、俺は君の知っている俺でありたかったのです。醜い自分を知られたくはなくて、それはきっと、ずっとあの頃に戻りたかったんだと思います。事実、沢井さんと話をしているときはいつだって、あの頃のような安らぎがあって、心が落ち着く自分がいました。
 雪の降り積もったあの日、俺は沢井さんに、「あと数年しか生きられないとしたらどうする?」と聞いたとき、沢井さんは真剣に答えてくれましたね。沢井さんの言葉は当たり前のことなのにとても意外でした。きっと君なら俺と同じ答えを出すのではないかと思っていたからです。その期待通りの言葉を聞いて、自分の選んだ選択は間違ってはいないのだと、そう思いたかったのです。
「死にたくない。」というその一言を言うのに随分と時間がかかりました。でもそれこそが自分の正直な気持ちであること、沢井さんが気づかせてくれました。
 本当にありがとう。
 まだ生きている。まだ間に合う。俺はこれから自分と向き合いながら生きる道を歩んでいこうと思います。
 今の俺にはいつか、なんていう未来の約束はできません。どんな言葉も沢井さんに言う資格はないのです。
 最後にもう一度同じクラスになれたこと、いろんな話をすることができたこと、本当に楽しかったです。ありがとう。

 河野 真


 アメリカへ向かう機内で、横の席に座るつぐみが眠ってしまっても、わたしはなんだか眠ることができなくて、何度も何度も読み返した河野くんからのたった一度の返信手紙を、もう一度一言一句のがさないように目を通した。

   



   



inserted by FC2 system