サクラの木


第5話 白い天使

(3)

 真面目に答えたわたしの言葉に、今度は河野くんが驚いたような表情でわたしの顔を見つめた。

「自分ひとりだけだったら、好きなことして、後悔しないように残された時間を過ごすかもしれないけど、でも、残される人たちはその後もずっと生きていかなければならないから。わたしを大切に思ってくれる人たちはみんな、少しでも長く生きていてほしいと思う・・・はずだから」
「・・・どうして」

 あまりにもリアルなわたしの言葉にも、河野くんは真剣な表情を向けてくれた。

「わたしね、妹がいたの。10日間しか生きられなかったけど」
「え?」

 そのとき、わたしはこれまで誰にも、つぐみさえも話したことのなかったことを、どうして河野くんに話したのかはわからない。
 でもわたしのこの言葉が、河野くんの運命を大きく変えることになろうとは、思いもしていなかった。

「生きていたら、今12歳になってる」

 小学生になった妹を今も想像する。
 わたしに似てるかな、それとも全然違ったかな、お姉ちゃんと呼んでくれたかな、仲が良かったかな、喧嘩もしたりしてたかな。
 そんなことを考えることも多い。

「わたし、ずっと兄弟が欲しかったから、凄く楽しみにしていて、お人形で抱っこの練習したり、赤ちゃんのお世話をする想像したりして・・・今でもよく覚えてる。生まれてきて、すぐに保育器に入って、わたしは一度だけその姿を見せてもらった。本当に小さくてひとりでは生きられなくて、いっぱいチューブみたいなのをつけられていた。それが最後だったの」

 その後、お母さんは精神的なショックで入退院を繰り返して日常生活を送れなくなってしまった。だからわたしは少しの間、祖父母のもとで暮らしていた。
 ショックだった。すべてのことが。
 妹のことも、お母さんのことも、それでも必死で働かなければならなかったお父さんのことも。
 あのときはみんな悲しみとか苦しみとか、それぞれ大きなものを抱えすぎていて一日一日を生きることで精一杯だったのかもしれないと今は思う。

「残されたわたしたち家族は、毎年妹の誕生日にお祝いをして、命日にお墓参りに行ってる。あの日のことはきっと一生忘れないと思う」

 わたしの話を河野くんは黙って耳を傾けていてくれた。

「だから、わたしは死にたくない。お父さんやお母さんはわたしを失ったらどうなっちゃうんだろう、とか考えちゃうし」
「知らなかった。・・・ごめん、辛いこと話させて」

 申し訳なさそうな表情を向けてくれる河野くんにわたしは少し笑って、こちらこそ暗い話をしてごめんね、と伝えた。

「いや、俺が聞いたんだし」

 それでもやっぱりどこか気まずい空気があって、わたしは窓の外を見つめた。

「妹のことをこんな風に誰かに話す日がくるとは思わなかった」

「妹さんは幸せだね。家族に愛されて」
「そうかな」
「そうだよ。自分のことをいつまでも忘れないでいてくれること、きっと嬉しく思ってるはずだよ」

 河野くんにそんな風に言ってもらえると、本当に天使になったあの子が笑ってくれているような気がした。

「ありがとう」
「いや、こちらこそありがとう」

 話をすることも、笑うこともなく、ただ10日間という短い時間の生を受けて旅立ってしまった幼い命。わたしの心の中で、妹の存在が消えることは永遠にないだろう。
 わたしは再び窓の外に視線をやった。


   



   



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