夏 君が微笑む   −第2部−






な、な、な、なんでこんなところに矢木杏奈がいるわけー!?
私は軽くめまいをおこしそうになった。
尚弥さんと出会うきっかけをつくってくれたといえば聞こえはいいけれど、私に酷いセリフを言いにきたばかりか、尚弥さんにコーヒーをぶっかけた張本人。

彼女がそれを覚えているとは思えなかったけれど、絶対会いたいわけないじゃないの〜!
私が思わず動揺していると、尚弥さんが私の肩をポンッと叩いた。

「美絵、オマエなにしてんだよ」
「あ、尚弥さん。だって尚弥さんどこかへ行っちゃうから」
「一応、挨拶してただけだよ。それよりもオマエもう部屋に戻ってれば?」
「え、でも・・・尚弥さんは?」
「俺はもう少し兄貴のサポート」
「あ、そうですよね。じゃぁ、戻っててもいいですか?」
なんとなくもうここにはいたくないな、って思って私は素直に尚弥さんの言葉に甘えることにした。
「ああ」
「あのー、尚弥さん」
「なんだよ」
尚弥さんは慣れない挨拶ばかりで疲れているせいかなんだか機嫌が悪い。
「あそこにいる女の人知ってます?」
「知るかよ。どうせファッションショーのモデルかなんかだろ。イチイチそんな女ども覚えてられるか」
「あ、そ、そうですか〜」
尚弥さんのまったく興味がありません発言に私はホッとしつつも、コーヒーぶっかけた女の人だって思い出したら一体どうなるのか、逆に怖くなってしまった。
尚弥さんにはあのときの女の人だってことは知られないほうがいいのかも。
それとも過去のことすぎて気にしないかなぁ。
私は尚弥さんに言われたとおり休憩用にとってある部屋に戻ろうとした。

けれど、やっぱり私は彼女とどこかで縁があるのかもしれない。
目の前に立ちはだる彼女の姿に、私は思わず口をあんぐりとあけてしまった。

「あなたが海棠家の次男の婚約者?」
「はい・・・」

いやー!矢木杏奈から声をかけてきたんですけどー!!
私が触れないように触れないように気をつけていたのに〜!

矢木杏奈は華やかな友人数人と一緒に私を取り囲むようにして微笑んだ。
「やだぁ、全然たいしたことないじゃない。なんであなたみたいな冴えない女が婚約者なわけ?彼、アタシの超好みなのよね。彼がアタシを選んでも恨まないでよね」
明らかに私を見下ろしながら、相変わらずとてつもない発言をしてくる彼女の姿に、彼女はあの頃と何も変わってはいないのだと思わされた。

そうそう、なんか過去にも似たようなこと言われた気がする。
ていうか、彼女、やっぱり私のことなんて覚えてない・・・。
どうでもいいけど、私と別れた彼氏と付き合ってたんじゃないの・・?それとも別れちゃったのかな。
なぜか私はこのとき冷静に彼女を見ることができた。

「なんでだまってんの?もしかして愛のない政略結婚でもさせられるわけ?アタシが別れさせてあげるわよ」
「アンナ〜、それ言いすぎ」
「あなた、気をつけてね。アンナは人の彼氏をとることが趣味だから」
矢木杏奈の酷い言いように、周りの女の人たちがクスクスと笑っていた。
前はあまりよく理解できなかった彼女の言葉が、今の私にはハッキリと馬鹿にしているのだということが理解できた。
うん。一応社会人になって私も成長したのかも。

「尚弥さんがあなたを選ぶことはないと思いますよ?」
え?
私が言葉を発しようとしたそのとき、空音さんの可愛らしい声が耳元で聞こえてきた。
「なっ・・・あなた何様の・・」
私の後ろから現れた空音さんに、矢木杏奈は見開いて驚いているようだった。

「ほらさっきの・・・ピアノの・・・」
「長男の方の奥さん・・・じゃないの?」
矢木杏奈の横にいる女の人たちもこそこそと言い合っている。

「お初にお目にかかります。海棠家長男柊弥の妻、海棠空音と申します」
空音さんは自分よりも背が高く、ゴージャスな女の集団を前にしてもまったく動じてはいなかった。
そして、おそらくモデルであろう彼女たちよりも、明らかに空音さんの方が美しく思えたのは、友達だからっていうひいき目なんかじゃない、と思った。

「尚弥さんの婚約者は美絵さんですから」
空音さんは笑顔で淡々とそう言い放った。
けれど、その笑顔が妙に怖く感じたのは気のせい?
「美絵さん。あちらにパティシエの河野さんのスイーツがあるんです。一緒に召し上がりましょう」
「は、はい」
空音さんの視界にはもはや矢木杏奈の姿は映っていないようだった。
けれど、私は彼女に一言、言わなければならないことがあった。

「私は、尚弥さんを信じていますから」

私ははっきりとそう言った後、空音さんに、行きましょうと小さく声をかけた。
「では、失礼いたしますね」
空音さんは最後までキッチリと、それはまさしく海棠家の女主人として恥ずかしくない振る舞いで、彼女たちの前を立ち去った。



「わ、たくさんありますね〜。わたし河野さんのスイーツ大好きなんです」
空音さんはさっきまでの気迫ある雰囲気をガラリと変え、いつものようににこにこと笑顔でその大きな瞳をキラキラ輝かせた。
どっちの空音さんが本物か、そんなのは考えなくてもわかった。
今の空音さんが本物なのに、彼女は海棠家の妻としての顔を演じなければならないんだ。それくらい大きなものを、彼女は背負って生きているんだ。
「さっきはごめんなさい。今日のわたしちょっとイライラしていて。お恥ずかしいところを見せてしまいました」
「いいえいいえ!私のほうこそ助けてくださってありがとうございます。それより、空音さん、今日とても素敵でしたよ!私ものすごく感動しちゃって!」
「あ、ありがとうございます」
空音さんは少し照れながら微笑んだ。
あーん、かわいい!
こんなに綺麗でかわいくて才能があって、人妻としても凛としてて、ホント尊敬しちゃう。
私も、顔はもう変えられないけど、せめてあーゆう場面でサラッと笑顔でかわせる強さがほしいな。
尚弥さんが恥ずかしい思いをしないように、私もしっかりしなきゃなんだよね。

「そういえば、今日も尚弥さんのご両親はいらしてないんですね」
私は尚弥さんに聞きづらいことを空音さんに尋ねた。
海棠家の親族も多く集まるというのでもしかしたら、って思ってたけど、紹介されることもなく、きていたらきっとすぐにわかるはずなのに、誰も何も言わない。
「ええ。尚弥さんなにかお話されてます?」
「あ、はい。お義母様の体調がよくないとかくらいですけど」
「そうですよね。柊弥さんも尚弥さんもあまりご両親のお話はしませんものね」
「柊弥さんもですか?」
「ええ。昔、お義母様が嫁いでこられた時にいろいろあったようで、お義母様もお義父様も海棠家とは一線おいていらっしゃるんです。そのせいで、柊弥さんも尚弥さんも子どもの頃はお辛い思いをされたこともあったみたいです。でも、そういうことも含めて尚弥さんは近いうちに話してくださると思います」
空音さんの言葉に、私は尚弥さんはきっと触れてほしくないのだと感じた。
時々ふっと両親の話が出てくるときの尚弥さんは、どこか怒っているような硬い表情をしていて、私はいつもなにも聞けないまま終わってしまうから。
私は目の前の可愛らしいピンクのチーズケーキをつつきながらやっぱり私から触れるべき話題じゃないことを確信した。
そうしていると知らない人たちから次々と声をかけられる空音さんとついでに私。
空音さんは失礼のないように笑顔をふりまいているので、私も同じように笑顔をふりまいた。
「私の妻に用があるときは、私を通していただきたい」
そこへ割り込んできたのは。
低いバリトンの声が、私たちの周りから人々を一蹴した。
うわぁ。出た出た出たー!
柊弥さんですよ!お兄様ですよ!
「空音、君に挨拶をしたいという人間がたくさんいるんだ。一緒にいるように言っておいただろう」
「終わったら自由にしていいっておっしゃったのは柊弥さんでしょう?だからスイーツを堪能しているんです」
おお!言い返してる、空音さん。
「とにかくくるんだ」
「イヤ。今ケーキ食べてるんですもの」
「イヤ、じゃない。ケーキならあとで取り寄せてやる」
「それじゃぁだめ。今食べたいんだもの」
すごーい、空音さん。私は心の中で思いっきり拍手した。
「空音。またどこぞのわけのわからない連中に声をかけらたらどうするんだ」
「別に、適当に対応しておくのでご心配なさらなくてけっこうです」
う、うわー!
もしかして尚弥さんが空音さんが機嫌悪いって言ってたのって本当のこと?

「いつまで夫婦漫才やってんだよ」
私がハラハラしながら二人の言い合いを見守っていると、尚弥さんが私のすぐ横に現れた。
夫婦漫才!?夫婦喧嘩じゃなくて!?
尚弥さんの言葉に驚いたけれど、確かにさっきのは喧嘩というよりはなんだか微笑ましい感じてはあったけれど。
だってあの怖い怖いお兄様が空音さんの前では全然違うんだもん。
「美絵、オマエなんで部屋に戻ってないんだよ」
「あ、えっと〜」
なんだかなりゆきで〜・・・そうよ、私部屋に戻るつもりだったんだ。
「うちの美絵もらってくから、あとよろしく〜。」
「え、え〜?」
「ほら、さっさとこい」
「え、いや今・・ケーキ食べて・・」
「オマエ結婚式の前にブクブク太ってどうするんだよ。ほら、こい」
うっ・・・。
空音さんと同じように言ってみたかったのに。
なんでこんなに違うんだろう〜。
私、まだまだ尚弥さんには勝てそうにない。空音さんみたいに困らせてみたりしたいんだけどな〜。
「美絵さん。またあとで〜!」
空音さんの笑顔に見送られながら、私は尚弥さんに引きずられるようにして会場を後にした。

 




   




   



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