夏 君が微笑む




春の終わり、降り続いていた雨が途切れた土曜日の晴れやかな日。
なぜ、私はこんなところに立っているのでしょう。


思い出したくもない過去をかなりいじられまくっている気がするんですがきのせいでしょうか。
午前11時にホテルメロディアーナ前。
家まで迎えに行くと散々言われたけど、さすがにそれはどうにも受け入れられず(絶対家族にからかわれるから)、断ってしまったら待ち合わせ場所はこのホテル。
ケンカ売ってるとしか思えません。
1年前、ちょっとだけハメを外して彼と一夜を共にした一流ホテル。
一体全体彼はここにどんな用事があるというの。
「美絵」
「は、はい!」
振り返ると、彼です。上司です。私をここへ呼びつけた張本人。
てっきり車で来るのかと思いきや、ホテルの中から出てきたようで、白いシャツに黒いズボンというなんともシンプルな格好。
「あのー。今日は一体どこへ」
一応綺麗な格好してこいと言われ、ワンピースを着てきたけれども。なんだかデートという雰囲気ではなさそう。
まあ週末空けとけと言われただけで、別にデートとは一言も言われていないのだけど。

「レストラン予約してある」
「えっ」
「兄夫婦に会わせるから、適当に話合わせてくれる?美絵チャン?」
「ええええ!?」

とんでもないこと言ってますよ、このヒト。
「ちょっ、ちょっと待ってください、係長!」
いきなり私の腕を掴んで歩き始めた係長に、私は慌てて大声で叫んでしまう。
「・・・係長はないだろ、美絵」
立ち止まって振り返った顔は・・・笑顔だけど、笑ってない。
「さ、沢村さん・・・」
「尚弥」
「な、尚弥さん」
「それでいいんだ」

ニッコリ。
怖いです。その笑顔が怖いです。

「あのっ、兄夫婦って・・・どういうことですか?」
私の質問に、係長はじーっと私の顔を見つめた。
ごくり。
思いっきり音をたてて唾を飲んでしまう私。
「簡単に言うと、この前俺はお見合いをさせられたんだ」
「お見合い!?」
「そう。そして断る理由に付き合っている彼女がいるから、と言ったわけだ」
「その彼女を紹介しろと・・・?」
「よくできました。美絵チャン、なかなか頭いいね」
それくらい誰だって分かりますって。
「だ、だからって、なぜ私が・・・」
「だって彼女だろ?」
「・・・そ、そうでした」

けれど彼女になってまだ数日。
デートをするどころか、ほとんど係長のことも知らないんですけど、とは言えず、私は大人しく従った。
だってほら、つまり”責任とって彼女”にされた、のはこういう理由だったんだから、ここでうまくいけば、私は晴れて無罪放免ということになるんじゃないの。
そうよね。いくらなんでもいきなり彼女になんてしないもの。
責任とってと言われたときにはどうしようかと思ったけれど。
こういう理由があったから仕方なく私を利用したんだ。
妙に一人納得してしまい、私はにっこり笑っている係長の考えなどつゆ知らず、のこのことついていってしまった。



スゴイスゴイとは思っていたけど、レストランもこれまたスゴイ。
私のような一般庶民が来ていいのだろうか、と思ってしまうほどの高級感溢れるレストラン。思わず自分の姿をもう一度上から下まで確認してしまった。
変な格好じゃないよね。
手をひっぱってずんずん歩く尚弥さんにレストランの従業員の人たちが頭を下げている。
そういえば、知り合いのホテルなんだよね。
そして連れてこられた先はレストランの個室。
扉を開けるとそこにには、3つ年上だという係長のお兄様ともう一人、女の人が隣同士座って楽しそうに会話をしていた。
けれど、私たちが部屋へ入った瞬間、お兄様の顔つきがガラリと変わる。
これがご両親との対面じゃなくて良かった、なんて一瞬でも思ってしまったことを私は思いっきり後悔してしまった。
お兄様、怖いです。オーラがものすごく怖いです。

「連れてきたよ、兄貴。こちらが佐伯美絵。俺の彼女」
「は、はじめまして、佐伯美絵です。かかり・・・尚弥さんにはいつもお世話になっております」
私は頭を深々と下げて挨拶をする。

「あの、お二人とも座ってくださいね」
氷のような空気をもったお兄様の横で柔らかな笑顔を向けてくれたのは奥様なのだろう。どこまでも完璧な美しさを纏った女性。
私は思わず見惚れてしまった。
世の中にこんな綺麗な女性がいたなんて。
しっかりばっちりお化粧をしているわけでもないのに、きっともともと綺麗な人だから飾らなくても、というよりむしろ飾らない方が綺麗なんだと思う。

「美絵、兄の柊弥兄さんと、妻の空音さん」
「宜しくお願いします」
私と尚弥さんは空音さんに促されるまま、テーブルを隔てた体面上の椅子に座る。
どきどきどき。
ヤバイ、緊張してきた。
何の裏もなさそうな無邪気な笑顔を向けてくれる空音さんの隣のお方が、とにかくものすごく恐ろしいオーラを発しているのが伝わってくる。
この二人がどうやってくっついたのかちょっぴり不思議な気持になってしまう。
だってほら、さっき一瞬だけ見えた二人の姿は仲むつまじい夫婦だった。奥様には優しい顔を向けられるのだろうけど、そこに至るまではどうだったのかしら。

「尚弥さんと美絵さんは1年くらいおつきあいされているのでしょう?ご結婚されるにはちょうどいいですね」

は?
空音さんの言葉に思わず目が点になる。
1年?1年もつきあってる!?
「あー、美絵はまだ入社したばかりだしな。もう少し会社に慣れないと」
係長はなんでもないという風に答えている。
話を合わせろってこういうこと?
「そうやってずるずるしてるから見合い話なんてくるんだ」
係長の言葉に、お兄様が怖いオーラを発しながらやっと口を開く。

「兄貴に言われたくないな〜」
「私だって、わざわざ見合いなんてさせたくないんだが、先方がどうしてもと言ってくる。独り身だと狙われやすい」
「兄貴も散々来てたよな」
「私のことはいいだろう」
「ああ、やっと落ち着いてくれて俺も助かるよ」
係長はちらっと空音さんを見ながら言った。

その瞬間私はなぜだかわかってしまった。
もしかしたら係長は空音さんのことが好きだったんじゃないのかな。
性格も良さそうだし、品もあるし、すごく綺麗だし。女の私から見ても嫌みなところなんてひとつもない。綺麗な人って性格の悪かったりするけど、そんな風には全く見えない。
「でも、こうなった以上、結婚の話は進めていった方がいいだろう」
「ああ、俺もそう思うよ。だから兄貴たちに会わせたんだろ」
ええ?
今、なんて会話をしているの!?
結婚!?
そ、そんな話ひとっつも聞いてないんですけど?
断る理由に私が必要だっただけなんじゃ・・・。
ていうか、お兄様たちに会わせる理由って、係長にホントに彼女がいるかどうか確かめるためじゃなかったの?
どーゆうこと!?
なにがなんだかさっぱりわからなくなってきたんですけど。

「美絵さん、これから仲良くしていただけますか?」
「え、あ、も、もちろんです」
係長兄弟が勝手に会話をしているせいか、空音さんがにっこり微笑んで私に話しかけてくれる。きっと気を遣ってくれているのだろう。
「尚弥さんにこんな素敵な人がいるなんて全然知らなかったんですよ。彼女なんていない、ってずっとおっしゃっていたから」
それは、きっと係長が貴方を好きだったからです。ていうか今でもきっと好きなんだと思います。
そう心の中でつぶやいて、どこかズキンとくるものがあった。
私は仮初めの彼女にすぎない。
わかっているはずなのに、当然のように係長の隣にいることが、どこか嬉しく感じていた。
どうしよう。
私は隣にいるこの人を好きになりかけている。
優しい顔の裏にある本当の彼はとってもとっても意地悪なのに。

「美絵さん?」
「え、あ・・・」
気づくと私は思いっきり俯いていたらしく、空音さんの声で我に返る。
「あ、もしかして尚弥さんと結婚することに戸惑ってたりします?」
「あ、えっと、そんなことはないです」

どうしよう。目の前にいる二人は私たちが結婚を前提につきあっていると思っているんだ。
結婚すること以前に、この状況に戸惑っているのは事実なんですけどね。と心の中でつぶやく。
「よかった。私は不安だったんです。柊弥さんと結婚するの。だって海棠グループの御曹司でしょう?もー、私に奥さんなんて務まるのかなって」

「空音!」

突然係長の声が割って入る。
「え?海棠グループ?」
今、空音さんの口から出た言葉に私は思わず耳を疑った。
「空音・・・余計なことを・・・」
係長がふっとつぶやく。
「え、ご、ごめんなさい。もしかしてご存じなかったんですか?やだ・・・私ったら」
「尚弥、何度言ったらわかる。空音を呼び捨てにしていいのは俺だけだ。それに彼女に言ってなかったのか?」
お兄様、呼び方までこだわるなんてそんなに奥様を愛していらっしゃるとは・・・じゃなくて、海棠グループって海棠グループって。
「あー、まあそのうちと思って。せっかく普通に生活してんのに、めんどくさいだろ」
あまりに混乱して思わず係長を見ると、係長ははーっと大きくため息をついて観念したように話し始めた。

「俺、本当は海棠尚弥という名前なんだ。悪いな、言ってなくて。ビックリした?」
ビックリも何も、信じられない気持でいっぱいだ。
だって海棠グループって言ったら、その名を知らぬ人はいないってくらい有名だ。世の中のことに疎い私だって知っている。
一流ホテルを世界中に持つホテル王。
このホテルメロディアーナもその一つ。
だから・・・。
だから知り合いのホテルって・・・顔パスで泊まれたりしたんだ。



放心状態の私のせいで、話が止まってしまいお食事はそのままお開きになってしまった。



  




   



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