部活もなくて、水やり当番もない放課後、あたしは柴田君がよく行く市民プールへ行った。実はそういう場所っておばさんみたいな人が多いのかと思ってたら意外にも若い人が多くてビックリだった。
とはいっても、あたしみたいな人はいないだろう・・・。

「柴田君は、何の部に入ってるの?」
「まだ決めかねてるんだ。先輩から生徒会にこいって誘われたりするし」
「あー、そっか。生徒会やってたら部活なんて顔出せないっていうしね」
「そうそう」

実は、柴田君が水泳を辞めた理由・・・腕を痛めてドクターストップがかかったことを絵梨から聞いた。全く泳げないというわけではなく、それまでのようにハードな練習はできないってことだった。なんで知ってるのかと思いきや、中学ではかなり有名な話だったそうで、あたしが知らなかったことを逆に驚かれた。
中学の時、一度だけ彼の泳ぐ姿を見たことがある。
フォームがとてもキレイで、勢いもスピードも他の人とは違っていて、まるで海の中の魚のようだと思った。
それは、水泳が得意だったお母さんのことを思い出させた。

「あたしのお母さんはね、泳ぐの得意だったんだよね」
「あ、そうなの?」
「そう。なのにあたしは・・・なんで泳げないんだろう。遺伝も当てにならないよね」
「ははは、でも実は隠れた才能あったりして」
「まさか」
「水の中に勢いよくもぐるとさ、空気の粒がいっぱいに広がって上に浮かんでいくだろ?俺、それを見るのが好きなんだ」
「光を帯びるとキラキラ光って、水の中に宝石があるみたい?」
「そうそう」
「お母さんも同じコト言ってたな」

幼い頃、あたしはよくお母さんに連れられてプールへ行った。
会員制のプールで、昼間は高級住宅地に住む奥様方が占めていた空間も夜になるとけっこう貸し切りだ。ぼんやりとした照明が上から降り注ぐ中、お母さんはいつもスイスイと魚のように泳いでいた。すらりと長く伸びた手足で水の中を進む姿はまるで物語の中の人魚姫のようだった。
あたしはその姿に見とれてしまって・・・そして、まるで水の中にすいこまれるように、水面に倒れ込んだ。
身長がまだ1メートルにも満たなかったあたしは、溺れてしまった。

それからだ。水が嫌いになったのは。

「咲原さんて、なんでこの学校にしたの?」
「んー、ここって校風もかなり自由だし、生徒主体だし、なんと言っても教育システムがいいなって思って」

柴田くんに聞かれて、正直に答える。
月ヶ原を目指す人、かなり多い。
それはやっぱりたくさんの魅力をもっている学校だから。

「確かに。俺もいいなって思った。先生からはレベル高いからギリギリって言われてたんだけどさ、先輩からかなり楽しいって聞いたんだよね」
「そうだね。水泳さえなければ楽しいんだけどねぇ」
「ははは」

それに・・・実は天野先生がいるってことも大きかったし、絵梨も一緒だったし。
いろんな条件とか環境とかが見事にあたしの希望通りで、この学校以外は全く考えていなかった。
そして、もうひとつ。

「あとねー、父親をさがしてるんだ」
「え?」

あたしはプールサイドに座って足を水の中に浸した。温水プールなのにヒンヤリとした水。

「あたしのお母さんもこの学校に通ってたんだ。18で妊娠して、高校卒業してあたしを産んだんだって。父親のことは誰も知らない。何も教えてくれなかった。だから、この学校にくればもしかしたら何か分かるかなって思ったんだよね。まぁ16年も前のことだし、簡単なことじゃないけど。当時の友人関係とかさ、わかればなーって」
「そっか・・・」

入学してすぐに図書室へ行った。
お母さんは卒業アルバムとか全部処分してしまっていたから。
当時のクラスメートの名簿やお母さんが写っている写真なんかも全部チェックした。
今やどこに住んでるかもわからない人たちだ。
これだけじゃまだなにも分からない。けれど、どこかに希望があるような気がして、探してみようって思った。

柴田君は少しだけ驚いていたようだったけど、深くは聞いてこなかった。
あたしもなぜ絵梨や天野先生にも黙っていたことを彼に話してしまったのか不思議だった。
誰かに聞いてほしかったのかもしれない。
事情を何も知らない、誰かに。

「じゃ、お願いしまーす。柴田先生」

あたしは笑顔で言った。
柴田君は笑っていた。

この人はきっといい人だ。


その日、柴田君が泳ぎ方を教えてくれたおかげで、なんとか25メートルを泳ぎきることに成功した。




    





   

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