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文化祭も差し迫った10月の半ば。学園の敷地内の木々も紅葉まっただ中の頃だった。
その一本の電話がなければ、あたしはもう父親のことはすべて忘れようと思っていた。

電話の向こうの明るい声の女性はシホ・リーデン。旧姓厚田志保さん。お母さんの親友だったと名乗った。吉井花恵先生からあたしのことを聞いて、連絡をくれたのだと言った。
電話の声が妙に懐かしいような気になって、あたしはすぐに彼女と会うことに決めた。
先生に話すと、危機感が足りない、なんて渋い顔をされたけど、相手が女の人だということと、先生も同席することで許してもらえた。


「やだ、美月?おっきくなったわねー!まあでもそっか。最後に会ったのってアンタ5歳くらいだったし。いやーん、月日の流れを感じちゃうっ」

会うなり抱きつかれてしまった。
あまりのテンションの高さに、あたしも先生もビックリしたまま固まった。
35歳くらいなはずなのに、全くそうは見えない。

「えーっと、こちらは・・・」
シホさんは先生をまじまじと眺めた。あたしが紹介しようとするとまたしても、あっ、と大声あげる。

「知ってる知ってる。美月の超イケメン家庭教師でしょ!?美和子から聞いてるわ〜。ホント素敵じゃなーい。美和子ってば美月に内緒にしてたんでしょ?家庭教師の話。イケメンだから大丈夫よ、なんて言ってたけど」
え。そこまで知ってるの。
ていうかお母さん、アナタ一体どんな風に決めたのよ。イケメンだから大丈夫よ、って確かに言いそうだけど。
お母さんて儚げな見た目のくせに、妙にミーハーなところがあった。

「あー、ごめんごめん。久々の日本だしテンションあがっちゃってー」
ぽかーんとするあたしと先生を目の前に、はっと我に返ったシホさんは頭をかきながら豪快に笑った。
ようやく派手な対面を終えてカフェの端っこの席に落ち着いたあたしたち。
叫んで喉が渇いたの目の前の水をいっきに飲み干すシホさんは、ボーイッシュでかっこいい女の人だ。
シホさんは、イギリス人と結婚してなぜかスペインに移り住んでたらしく、なかなか日本には帰ってこれなかったけれど、お母さんとはしょっちゅう電話やメールでやりとりをしていたのだそうだ。
スペインに行くまではあたしの世話もしていてくれたみたいで、あたしはそんなことはすっかり忘れてしまっていた。

「ごめんね。美和子の葬儀には出れなくて」
「いえ、そんな。連絡しなかったのも悪いですから」
お母さんの葬儀は身内だけの密葬になった。ファンの人たちのためには事務所が追悼式を開いてくれたのだ。

「ホントはすぐにでも帰りたかったんだけど」
シホさんは哀しげに微笑んだ。
ちょうど出産と重なったのだと言った。

「美月、吉井先生のところに行ったんだってね」
「はい。夏休みに」
「お父さんのこと、知りたい?」
「え」
シホさんはあたしの顔を見ただけで納得した。
「ビンゴね。そうだと思った。美和子は何も言わなかった?」
「はい」
「美和子、美月が15になったら話すとは言ってたんだけどね、その前にいなくなっちゃったんだね・・・」
「本当ですか?」
「本当よ。だって美月には知る権利があるじゃない」
一生教えてくれないつもりかと思っていたのに。

「志保さんはご存じなんですか?」

あたしの代わりに、先生が口を開いた。

「ええ。知ってるわよ」
シホさんはコーヒーを一口飲んだ。
あたしは思わず下を向いてしまった。いきなりすぎる。
心の準備も何もできていない。まさかこんなところに真実を知っている人が現れるとは思ってもみなかった。
同時に原田先生の言葉がよみがえる。
あの人だったらどうしようと、いう不安と嫌悪が混じり合う。
そんなあたしの様子を見た先生があたしの手を握ってくれた。

「原田勝、ではないですよね」
うわ。
先生、そんなにはっきりと聞かないで。
ていうか、聞かなきゃいけないことなんだけど。
まだ心の準備が。

「なんで原田が出てくるの?ていうかなんでその名前知って・・・」
きょとん、とした表情のシホさんがあたしと先生を交互に見るのが分かった。

「もしかして原田ってまだ月ヶ原にいるわけ!?美月何かされた!?」

ハイ、されました。
心の中のつぶやきを、シホさんはあたしの顔を見ただけで理解したようで突然、怒り露わに立ち上がった。
ぎゃー!なんてこと!!アイツがなんでまだいんのよ!!と両手をグーに力を込めて叫んでいる。
ひとしきり怒り狂って、再び座って、もう一度コーヒーを口にするシホさん。
さすが外人と結婚するだけあってリアクションが大きいデス。

「あの男じゃないわよ。あいつはただのストーカー」
「「ストーカー?」」

あたしと先生の声がハモる。
確かに行動はなんか怪しげというかちょっと異常な気もしたけど。
シホさんの言葉と態度から、原田先生が父親ではなかったという安堵が心を覆う。

「原田はねぇ、美和子のことが好きで、とにかく美和子のことはすべて調べ尽くしてたわね。気持ち悪いくらいに。被害届だそうにも、一応先生なわけだし?美和子は当時まだそこまで有名じゃなかったけど、一応ゲイノウジンだったから、言ってもちょっと度のすぎるファンくらいにしか思ってもらえないしね。しかも妄想癖まであるもんだから、大変だったわ」

シホさんは凄い勢いで話してくれた。
「だから原田がなんて言ったか知らないけど、アイツが父親だなんて絶対にありえないわ」
「じゃあ、本当の父親は」

「上原隆一。元ミュージシャンで、今は作曲や作詞をしながら暮らしてるはず」

全く聞き覚えのない名前を告げられ、あたしは実感がわくも何もなかった。
原田先生じゃなかったという事実だけで妙にほっとしている自分がいる。
ストーカー。
シホさんによるとお母さんはかなりつきまとわれていたらしい。
けれどそれを知るのはシホさんだけだったようで。周囲からは教育熱心な若い教師、と思われていたそうだ。
あたしが事の次第を簡単に説明すると、シホさんは怒り露わに『執念深い男ね〜、クビになって当然よ』と何度も言っていた。

そして、シホさんは話してくれた。
お母さんがあたしを一人で産んだ理由を。




高校生の時、2つ年上だったお父さんに恋をしたお母さん。
バンドを組んでいたお父さんは文化祭をきっかけにスカウトされ高卒後デビューを果たした。追うようにお母さんも女優としての道を歩むようになる。
隠れて付き合っていた二人だったけれど、お父さんはハタチの時に突然喉の病気を患い、声が出なくなってしまう。ボーカルとして歌えなくなってしまったお父さんは手術の為にアメリカへ渡ったのだそうだ。
その後、お母さんはあたしの存在に気づく。
けれど、治療の為にアメリカへ渡ったお父さんに負担をかけるようなことができるはずもなく、お母さんは一人であたしを産む決心をしたのだそうだ。
それはお母さんとお父さんの切ない恋のお話だった。

別れ際シホさんはいつでも連絡をしておいで、と言って海外の自宅の連絡先と、メールアドレスを教えてくれた。もうしばらくは日本に滞在するらしい。

「でも安心したよ。美月のこと大事にしてくれる人が側にいるから」

シホさんは先生を見ながらにっこり笑った。
あたしたちは何も言わなかったけれど、気づいていたようだ。
あたしが先生を必要としていること。
先生があたしを想っていてくれること。


「いいのか?せっかく本当のことがわかったのに」
「うん」

居場所は、調べようと思えば調べられる。音楽界ではある程度知名度のある人らしいから。
けれど、あたしはなんだか本当のことがわかっただけで満足していた。
知らない、とか言われ、会うのが怖いわけでは決してなかった。

「・・・あたしね、思い出したの。あたし一度お父さんに会ってると思う」
「いつ?」
「1年くらい前。真っ黒なスーツを着てお母さんのお墓の前に立ってた。サングラスもしてて顔はよくわからなかったんだけど、ファンの人かと思って頭下げたら、手を差し伸べられた。でもあたしその手をとることができなくて、それっきりだけど」
「そうか」

あの人は、あたしがお母さんの娘だということに気づいていた。
お父さんかどうか確証はないけれど、なぜか今は変な確信がある。
背の高い男の人が、地面に膝をついて手を合わせる姿は、とても印象的だった。
どうしてあの時気づかなかったんだろう。
手を差し伸べられたときに。
哀しげに歪む口元を見たときに。
お父さんかもしれない、と。
会いたくないわけではない。
けれど、なぜかもう一度会えるような気がしていた。

「よかった」
「ん?」
「あの人じゃなくて」
「言っただろ、違うって」
「なんでわかったの?」

あの時、先生ははっきりと断言してくれた。
本当のことを知っているはずはなかったのに。
先生はあたしの顔をじっと見つめながら、言った。

「似てるとこなんてひとつもないから」
「そっか」

先生の言葉があまりにも優しくて、あたしは思わず涙ぐむ。
先生は何も言わずあたしの肩を抱き寄せてそのまま手を腰に回した。
触れている大きな手に安心と、照れくささと、ほんの少しのドキドキが入り交じったような気持になって、あたしはそっと先生の顔を見上げた。
あたしには先生がいる。
あたしが笑いかけると、先生も微笑んだ。
先生の微笑みはあたしだけのもの。


帰り道、あたしたちは手をつないで、ゆっくりと歩いた。





    



   





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