21


週末、あたしは一人、お母さんの墓標の前に来ていた。
考えないようにしようと思うのに、どうしても答えの出ないこのもやもやした気持をどうすることもできないから。
別にここへ来たからといって真実がわかるわけでもないし、本当のことを知っている人はもうこの世にはいないのだ。
「お母さん、あたしのお父さんは誰なのかな」
最初に呼び出された時、原田先生は『つまらない男にひっかかってあたしを産んだ』と言っていた。
それなのに、どうして自分が父親かもしれないみたいなことを言ったんだろう。
お母さんが何も言わなかったのは、お父さんに迷惑をかけるからとかそう言う理由ではなく、もしかしたら、産みたくもない人の子どもを産んでしまったからなんじゃないだろうか。
でも、あたしにはどうしても原田先生が父親だとは到底思えなかった。
ただ、思いたくなかっただけかもしれないけれど。
あたしは、供えられた花を整えると手を合わせて立ち上がった。
そして空を仰ぐ。
どこまでも広い、青い空。

帰ろう。

そう思い前を見つめた。

「先生・・・」

どうしていつもいつも、先生はあたしの行動がお見通しなんだろう。
ここへ来ることは、誰にも伝えなかったのに。
おばあちゃんにすら、出かけてくる、としか言っていない。


「先生、あたし・・・」
涙が頬をつたって流れていくのがわかった。
泣くつもりなんてなかったのに。
「美月・・・」
動かないあたしに先生はゆっくりと近づいてきた。

「あたしの父親は・・・」
そう小さくつぶやいたあたしの声に、先生は首を横に振る。

「原田先生ではないよ」

先生はそう言った。
「どうして?」
どうして知っているの?
それに。あたしが欲しい答えを。なぜ。先生が。

「彼が、言ったんだろ?自分が父親かもしれないと」
どういうこと?
先生は原田先生と話をしたのだろうか。
原田先生は、自分が父親かもしれない、と先生に言ったのだろうか。
あたしが意味もわからずにいると、先生は少しだけ哀しげに尋ねてきた。

「美月、そんなに父親に会いたいのか?」
「あたしは・・・」

本当のことが知りたいだけ。
ただ、あたしは独りになってしまうのが怖かった。
今はおじいちゃんやおばあちゃんが元気でいてくれるけれど、お母さんは突然逝った。
いつあたしが独り取り残されるかわからない。
もう半分の血をひくお父さんの存在を、知りたいと思ったのは事実だ。
けれど、こんなことを望んでいたわけではなかった。

「美月は独りじゃないだろう?」

まるであたしの心を見透かすようにその言葉がまっすぐに心につきささる。
すべてお見通し、と言わんばかりに。

「血のつながりはないけど、俺だって美月の側にいるんだから」
「だって、先生はいつか離れていくでしょう?」
「なんだ、そんなこと心配してたのか」

そんなこと。
そんなことだけど、あたしには大切なことで。

「離れていかないよ。美月が望む限り側にいる」
「好きな人ができたらどうするの?」
「この先美月以外に好きな人も大切な人もできないよ」
「え・・・?」

それってなんだか、告白みたいなんですけど。
さらりと、この先もケーキを好きになることはないよ、みたいに言われると。

「美月を愛している」

美月を 愛している

「だ、だって、お母さんは?」
あたしはお母さんの眠る墓標に視線をやる。
「ああ・・・」
先生は軽くため息をついてから諦めたように話し始めた。

「ちょうどいい。美和子さんもココにいるし。懺悔するよ」
「懺悔?」
「前に、美月に美和子さんが好きかどうか尋ねられたとき、否定はしなかったけど、肯定もしなかったのを覚えてるか?」
「うん」
確かにお母さんが亡くなってしばらくして、あたしが、「先生はどうして側にいてくれるの?お母さんのことが好きなの?」と聞いたとき、先生はただ哀しげに微笑むだけだった。
それであたしは勝手に二人が恋人同士だったのかなんて思ったりもした。
だってお母さんは先生のことすごく気に入ってたし、何度も3人で食事に行ったりもしたから。

「俺があえてあやふやに答えたのは、そうすれば美月は俺が美和子さんが好きだったと思いこむだろうと思ったから」
「なんで、そんなこと」
「美月が好きだったから。あのまま美月の側にいるために俺は一番卑怯な手を使ったんだ。美月はおじいさんとおばあさんに引き取られることになっていたし、家庭教師でなくなるということは、美月との関係もなくなってしまうだろう?美月の側にいる口実が欲しかったんだ。・・・俺は美月が思ってるほどいい大人じゃないよ」
「それじゃ・・・」

先生とお母さんはなんでもなかったってこと?

「幻滅したか?」
「・・・」

あたしはなんと答えていいかわからず俯いた。
でもなぜかほっとしている自分がいて。
あたしはしばらく立ちつくしたままだった。
先生も何も言わなかった。

まるで時間が止まったかのような空間を壊してくれたのは、優しい秋の気配のただよう優しい風だった。

あたしはそっと手を伸ばした。
先生はおそるおそる、壊れ物に触れるようにあたしの手に自分の大きな手を合わせてくれた。
そして指を絡ませながら、あたしは微笑んだ。

「あたしが先生に・・・祥ちゃんに幻滅するわけない」
「美月」

ずっとあたしの側にいてくれた人。
一番辛いときに、あたしを支えてくれた人。
お母さんがいなくなったとき、あたしは先生がいなくなるなんてことは全く考えられなかった。
それまで当然のように側にいてくれた人だから。
けれど、あとで考えてみれば、先生はただの家庭教師で。
その役目が終わってしまえばあたしとの関係なんてなくなってしまう。
だからあの後も当然のように側にいてくれて、勉強だってみてくれたことに本当はすごく感謝をしていた。
お母さんが好きだったから、あたしも大事にしてくれる。
それだけで、十分だった。あの頃は。

「本当は、怒るところなのかな」
「そうかもな」
「じゃあ、あたしはもう先生なしじゃダメなんだよ、きっと」

あたしは自ら、先生の腕の中に入り込み、背中に両手を回した。

「好きに、なっちゃいけない人だと思ってた」
「ごめん」

先生もあたしの身体をゆっくり抱きしめてくれた。
あたしは瞳を閉じて、温もりに身をゆだねる。
何度もこうしてもらったね。その度にあたしはいつも安心できた。
今度はこう尋ねてもいいかな。


「好きに、なって、いい?」

「断るわけ、ないだろ?」




   


   


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