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「湖南さん」
あたしの呼びかけに湖南さんは無表情のまま振り返った。まるで待っていたかのように。
湖南さんはあたしを体育館に連れて行った後、天野先生のもとを訪れた。
「咲原さんが危険な目にあうかもしれない」
そう言って、一緒に体育館に来たそうだ。
そうしたら、柴田君をはじめとする生徒会の人たち数人と一緒になった。
あたしが原田先生の手を払いのけようと、蹴り飛ばす瞬間からプールに落ちるまでばっちり見られていたようで、あたしがプールに落ちたところを、誰よりも早く湖南さんが助けてくれた。
男ばかりそろっていたのに、誰よりもかっこよかったらしい。
あたしを助けてくれたのはあたしがこうなるきっかけを作った彼女だった。


「なにか、用?」
屋上で二人きりになったとたんに彼女が口を開く。
「あ、うん。助けてくれたって聞いたから。ありがとう」
「どうして?私はあなたを騙したのに」
騙す・・・。やっぱり騙されたことになるのかな。のこのこついていったあたしも悪いけど。
彼女はどこまで知っているのだろう。
でも、湖南さんは原田先生に命令されたんじゃないかと思った。
先生で、しかも部活の顧問でもある。しかも湖南さんはきっと原田先生が好きだから。
あたしは原田先生の本性を垣間見ているし、彼女の気持ちも分からないでもない。

「湖南さんは原田先生が好きなの?」
湖南さんはあたしの直球過ぎる問いに、一瞬顔を歪めた。
そして睨みつけるようにあたしを見た。けれどそこに悪意は感じられなくて、それが湖南さんの普通の表情なんじゃないかと感じた。
「今は、わからないわ」
「じゃあ・・・」
「中学の時、原田先生がスカウトしてくれなかったら、あたしは今この場所にはいなかった。先生がいなければ私は表彰台にのぼることもできなかったから。先生への感謝が好きだと思ったのかもしれないし」
「湖南さん」

原田先生は、性格には問題あるけど、優秀な指導者というのは間違いではなかった。
「私、咲原さんが羨ましかったわ。私は泳ぐことでしか先生に見てもらえなかった。原田先生は咲原さんに酷いことをしたかもしれないけど、それはきっと咲原さんが好きだったからよ」
「まさか」
原田先生が好きだったのはお母さんで、あたしがお母さんの娘だから何かとこだわっていただけ。そしてあたしが娘だからかもしれなかったから。
そう喉元まででかかったけど、余計ややこしくなるような気がしてやめた。

「原田先生は天野先生に笑いかけてる咲原さんを見て、いつも怖い顔して睨んでたもの」
それは初耳だった。
「原田先生は学校を辞めるんでしょう?」
「うん」
「当然ね。今までどうして辞めさせられなかったのかと思うわ。咲原さん、私は、本当は原田先生と顔を合わせなくてすむようになるからほっとしてるの。あんなに好きだったのにおかしいわよね?こうなるのを望んでいたのは私。咲原さんは嫌な思いをしたかもしれないけど」
「湖南さん・・・」
「今だから言うけど、原田先生は私のことなんて好きでもなんでもなかったの。私はきっと利用されたのね」

あたしには湖南さんが何を思い返してそんなことを言ったのかわからなかったけれど、もしかすると、彼女も苦しんでいたのかもしれない。
原田先生はあたしだけでなく湖南さんも傷つけたのだ。
彼女の純粋な恋心を。

「ありがとう。咲原さん」
「え?」
「聞いてもらってすっきりしたから」

あたしはこのとき、初めて湖南さんの笑顔を見た。
笑顔と言うよりは、小さな微笑みだったけれど。
そして、こんなに会話をしたのも初めてだった。
彼女は彼女で、いろんなものを抱えてきたのかもしれないと思った。
中学生のあたしがそうだったように。


湖南さんとはいつか友達になれるかもしれない。





   



   


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