「もうしんじらんない!べたべたべたべた、あれは絶対セクハラだと思うんだけど!」

くるくると回転する椅子に座って、あたしは思わず声を荒げてしまう。

「しかもなんでこのあたしが補習なんか受けなきゃいけないわけ!?」

たかが25メートル泳げないだけなのに。
人それぞれ得意不得意分野があるのに。こんなの個性のひとつだって認めてくれたっていいじゃないの。

「先生、聞いてる?」
「うん」
「あたしの怒りわかってる?」
「原田先生だろ?・・・ちょっといきすぎた行為だな、と思うよ」
「もー、それだけじゃないってば」
「わかってるよ。水泳も嫌なんだろ」

地学講師室で、天野先生はコーヒーを飲みながらレポートのようなものから視線を外すことなく冷静に答える。
あたしの高いテンションとは大違いだ。
天野祥吾、25歳。月ヶ原学園の生物&地学教師になって3年目。
若くて整った容姿の持ち主である彼は女生徒の人気だけでなく、女性教師の視線も集めているけれど、本人はいつも上手にかわしている。というよりもけっこう冷たくあしらっていたりする。
それがまた人気になったりするわけで、どういう態度をとっても嫌われないところがうらやましい。
そんなガードの堅い天野先生は、あたしの元家庭教師だ。
そして、お母さんの元恋人でもある。

先生はあたしが10歳くらいのときから家で勉強を見てくれるようになった。
隠し子報道があった頃。お母さんはその時映画の仕事が決まって夜も遅かったし、学校にも行かないあたしのために、お母さんが連れてきたのが家庭教師兼保護者役を引き受けてくれた当時大学生の天野先生。
2人がいつから付き合い始めたのかはよくわからない。だけどあたしが中学に入ってからだったと思う。
2年前、お母さんが亡くなってからも、先生はあたしには優しい。

「美月は母親似で美人だからな。気をつけないと」

先生は2人きりのとき『美月』と呼ぶ。最初は『美月ちゃん』だったのにいつの間にか『美月』になっていた。あたしの名前を呼ぶときの声のトーンが心地よくてあたしだけが特別な気がして安心できる。
”お父さん”がいたらこんな感じなんだろうか。
まだ20代なのに、こんな大きな子からお父さんなんて言われたらとても失礼かもしれないけど。

「本当に心配してくれてる?」
「しているよ」

黒くてさらさらの髪が目にかかる。絶対にこんな髪うっとうしいって思うはずなのに、先生だとかっこよく見えてしまう。こういうところが女の子の心を動かすんだってば。本人はあんまり顔見せたくないからとか言ってるけど。それ逆効果だよ。


180センチの長身。細いけど、実は力強くて、大人の落ち着いた雰囲気を持っていて、普段はあまり笑わないけど、あたしの前では笑顔を見せてくれる。
あたしだけが知っている先生の顔。
生物教師でもあるのに、生物講師室じゃなくて地学講師室にいることを知ってるのも今のところあたしだけ。
生物教師は他にもいるから、1人で自由に使える地学講師室の方が居心地がいいらしい。だから、こうやってあたしが押しかけても来れるし、愚痴まで聞いてもらえるんだけど。

「とりあえず今日は園芸部のほうで忙しいって体育科に伝えておくから」
「やった!ありがと〜!」

そのおコトバを待ってました!


飛び跳ねて喜ぶあたしを優しげな瞳で見つめてくれる先生。
それはあたしが愛した人の娘だから?
それでも祖父母以外に親しい身内のいないあたしにとって、先生は一番頼れる人に違いない。

「また何かあったら言ってこいよ」
「うん。わかった」

あたしは立ち上がる。予鈴が鳴ってから移動したりすると他の生徒の目につきやすいから早めに教室に戻るため。

「あ、そうだ。先生」
「ん?」
「もうひとつお願いがあるんだけど、いい?」




    



   



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