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それからすぐ、天野先生が迎えに来てくれて、あたしと絵梨は先生の車に乗り込んだ。
当然というか、先に絵梨の家まで送り届ける。
絵梨、あたしを残していかないで〜、なんていう心の叫びも空しく、絵梨はさっさと降りると笑顔で手を振っている。
ああ、なんだか怖い。
だってなんかいつもと空気違うんだもん。


「美月」
「は、はい」
きた。
車を動かし、しばらくすると、先生は助手席に座るあたしをちらりと見た。

「なにがあった?」
「え、なんにも・・・」
「俺に本当のことが言えないのか」
「本当のことって?」
先生は少し怒っているようだった。
「唇は腫れてるし、その手首、なぜ赤くなっているんだ」
「!!」

あたしは思わず両手首を見た。
捕まれたところがくっきりと赤くなっている。
自分では全く気づかなかった。
けっこうすごい力だった。
絵梨に一緒にきてもらわなければ、助けてもらわなければ、どうなっていただろうか。
そう思うとぞっとしてしまう。

「先生、方向違うよ」
ふと辺りを見回してあたしはごまかすようにそう言った。
「うちへ行く。美月のおばあさんにはご飯食べて帰らせると伝えてある」
「・・・」
話すまでは完全に逃げられない、ってことデスね。
その後、あたしも先生も終始無言だった。
あたしは先生にどう言えばいいか、頭をフル回転させながら考えていたのだけれど。



部屋に着いて、先生がお茶を淹れてくれる。
やっぱり無言の圧力を感じて、あたしはじっとソファの上で固まっている。

「で?」
先生はティーカップを2つ持って、あたしの隣に座る。
「・・・先生は何かあったと思ってる?」
あたしはティーカップを受け取るとおそるおそる尋ねる。
「当たり前だろう。何もなければ、美月はそんな顔してない」
そんな顔って、あたしはいつもと違う顔をしてるんだろうか。
どうして先生には分かってしまうのかな。
「原田先生って生徒と噂があるってホント?」
「本当かどうかはわからないけど、その噂は知ってるよ。それから彼はけっこう難しい存在でもある」
「どういうこと?」
「先に美月の話からだろ?」
う。
そんなにまっすぐに見つめられると、あたしは思わず視線を逸らすように下を向いた。

「あの人、お母さんのことよく知ってるみたいだった。あたしのこと顔がそっくりだって、言ってた」
「それで?」
「それから・・・両手捕まれて、お母さん亡くなってショック受けたようなこと言って、その時に力入ったのかも」
「美月、俺に嘘を突き通せると思うなよ」

いつもより低い声。
完全に怒っている声。
ダメだ。
先生には隠しきれない。



あたしは、どこから話したかよくわからないけれど、とりあえずあったことを先生に話した。
先生は黙ってそれを聞いていたけれど、すべて話し終えて、あたしが肩を震わせていると、そっと抱き寄せてくれた。
改めて口にすると、あたしは随分とひどいことを言われていた。
先生をたぶらかしたみたいなこと。
お母さんとは顔しか似てないとか。

「美月は優しくて良い子だよ」
「またそうやって人を子どもみたいに・・・」
そう言おうとして、涙が一粒頬をつたう。
泣くつもりなんてないのに。
先生はゆっくりと背中をさすってくれる。

「美月は美和子さんによく似てる」
「どこが」
「弱みを見せないところ。負けず嫌いなとことか頑固なところとか」
「それ褒めてるの?」
「褒めてるつもりだけど?」
「・・・」
褒められてるようには思えないんですけど。

「好きな食べ物も似てるだろ?」
「うん」
「似てないのは」
「泳ぐのが下手なところだけ?」
「そう」
「そっか」
「冗談だよ。美月はきっと本当は上手いと思うよ」
「そんなの嘘」
「どうだろうね」
「なにそれ」
「さあ?」

あたしは思わず笑ってしまった。
あ。
涙が、止まっている。
先生は。
どうしてあたしをこんな風に自在にコントロールできるんだろう。

「じゃあどこが似てないの?」
「美月はプライドが高いだろ」
「えー?それこそ褒め言葉じゃないじゃん」
「褒めてるんだよ」
「どこが」
「少なくとも俺は美月のプライドの高いところ、好きだよ」

好きだよ、って。
そんなことをはっきり口にされると恥ずかしい。
そんなやりとりがあたしを和ませてくれる。



「美月、今後原田先生と二人で会うのは控えた方がいいな」
「なんで?」
「さっきの話に戻るけど、彼は校内でもけっこう難しい存在なんだ。家が資産家で学園に多額の寄付をしていて、多少のことでは学園も彼に手出しできない。しかも、水泳に関しては優秀な水泳選手を何人も育て上げている。優秀な教師はなかなか手放せないからな。たとえば生徒と何かあったとしても話し合いで解決する術を彼は持っている」
「お金とか?」
「ああ」
そうなんだ。実際そういうことって本当にあるんだ。
「美月の話だと、原田先生は美和子さんにかなり執着していたと思われる。美月に対しても最初から風当たりが強かっただろ?それだけ意識されてるってことだから、今後何もないとは思えない」
「うん、わかった」

先生は、あたしが頷くのを見届けると、あたしの両手にそっと触れる。
赤く腫れているところをゆっくりとさするように撫でた。

「痛かっただろ?」
「うん」
「男の人って力強いね。いざとなったら1人ではどうしようもないってよく分かったよ」
「そうだな」
「先生が触れるときはいつも優しいね」

あたしは先生の大きな手のひらにそっと自分の手のひらを合わせた。
大きいけれど、あの男とは違う優しい手。
あたしが一番落ち着く、手。
その感触が心地よくてしばらく握りしめる。
小学生の頃、お母さんの帰りが遅くて眠れない夜、あたしが寝入るまでこうやって手を握っていてくれた。
あの頃と同じ、手。
この手は変わることなくあたしに触れてくれる。
いつの間にか重なる手が絡み合っていることに気がついて、あたしは思いっきり恥ずかしくなった。

「せ、先生はっ、なんで原田先生のことよく知ってるの?」
思わず声が上ずってしまう。
でも何かしゃべらないと、どうしていいかわからない。
「美月が、セクハラだなんだと騒いでたから、気になって調べたというか、まあいろいろとな」
「そっか」
あの時はただなんとなく聞いてくれてるだけかと思ってたのに。
その後、一緒にご飯を食べて、先生はあたしを家まで送ってくれた。


走り去る車に手を振りながら、あたしは先生の手の感触を思い出していた。




   



   


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