水の中の宝石

きらきらと光のつぶが浮き上がる。
手を伸ばしても届かない。


息が・・・できない。





ゆらゆらと揺れる水面はあたしの心を誘うように呼びかける。
サイアクだ。高校に水泳の授業があるなんて知らなかった。普通水泳なんて小学校で終わりじゃないの?
しかも男女一緒ってありえない。
せめてもの救いはこの水着。スクール水着じゃなくて、水泳選手が着るようなスタイリッシュなもの。この学校の卒業生がデザインしたものらしい。

「咲原!お前25メートルも泳げないなんて高校生として恥ずかしくないのか!」

25メートルには届かず、18メートルくらいのところで息尽きる。プールサイドで監視していた水泳担当の原田先生の大きな声が耳にキーンと響く。
あんな大声で人の恥を叫ばなくてもいいじゃない。
水泳なんて小学校以来なんだから。

4月にこの私立月ヶ原学園に入学してしばらくは平和な日々が続いていた。というよりは新しい生活に満喫していたのに。
というのも月ヶ原学園は高校ではめずらしいマンモス校で、広大な敷地に、整った庭園、カフェテリア、音楽ホールに体育館、校舎だけでなく様々な建物がある。
様々な分野のスペシャリストを育てるためのカリキュラムが組まれたこの学校には、多彩な才能を持った生徒が集まっているのだ。
とは言ってもあたしは特に何かができるというわけでもなく、ただ普通科に一般入試で入学したごく普通の人間。
だからこうやって、受けたくもない水泳の授業を受けていたりもするんだけど。
4月と5月はソフトボールだった。6月と7月が水泳。9月と10月はバスケットボール、11月と12月が卓球で1月と2月がバレーボールの授業だ。
2年になったらやっと選択授業となる。
もちろん、水泳だけは選ばない。

とはいうものの、現実は。
「咲原!25メートル泳ぐまで休むな!」
んな無茶な。
今日の授業。25メートルのタイムを計って、7月末までにどれくらいタイムをあげられるか、というもので成績が決まるらしい。
ちなみにあたしは測定不可能。
名簿順に4人でグループを組まされ、最後の授業でリレーもすることになった。もちろんその結果も評価につながるらしい。
あたしのグループ、水泳部所属の湖南さん(この子がまた泳ぐの上手でかっこいい。ショートヘアの美人さんで無口なんだけどそれが絵になる感じ)、中学の頃は水泳部エースだった柴田君(実は同じ中学出身でモテモテだった)、そして最後に長身の須川君(水泳は苦手とか言っておきながらけっこう人並みに泳げる人)。
なんというか、すごいグループだ。ごめんなさい、あたしだけが落ちこぼれデス。

「お疲れ」
「あ、ありがとう」

同じグループの柴田君があたしにタオルを渡してくれた。
結局3回も泳がされたけど、25メートル泳ぐことはできなかった。

「大丈夫?」
「あの先生ニガテ」

さっきまであたしに散々怒りちらしていた原田先生を見た。

「あー、あの先生水泳部の間でもけっこう厳しいって有名だよね。湖南さん」
「うん」

柴田くんは水泳部の湖南さんに同意を求めるが、湖南さんは原田先生に視線を向けるとクールに頷くだけ。もう少し反応してくれても・・・

「あーもうどうしよう」
「水泳は嫌い?」
「だいっきらい。中学では選択だったのになんで高校で必修なんだろ」
「あはは。でも2ヶ月だし。週に2回だし」

その週に2回が2ヶ月続くのがイヤなのデス。
水泳が嫌い。というよりも幼い頃から水が嫌いなのだ。

「でも柴田君はいいね。水泳上手で」
「あれ、俺のこと知ってた?」
「有名人じゃん」
「へーびっくり。咲原さんは誰にも関心なさそうだったから」
「あたしのこと知ってたの?」
「有名人じゃん」

同じセリフに思わず顔を合わせて笑った。
柴田君とは同じクラスにならなかったから話す機会はなかったけど、けっこう話しやすい人だったのね。
「二人、中学一緒だったんだ?」
側で話を聞いていた須川君が口を挟んでくる。

「うん、そおだよ。でも話したのは高校入ってからだよね?」
「そうだね。咲原さんは林崎さんといつも2人で一緒だったし、2人とも誰も近づけさせないオーラがあったというか。でも話してみてイメージ違うからビックリしたよ」
「え、そうだっけ?」

柴田君はまた笑った。健康そうな真っ白な歯を見せて。

確かに、中学の頃、あたしは親友の林崎絵梨以外の人と仲良くしようとしたことはない。
それは家の事情があったから。
まあなんといっても、お母さんが女優・・・ゲイノウジンというものだったことが大きな理由なんだけど。
父親のいないシングルマザー。
そういうのって格好の餌食になるというか、お母さんはそこそこ名前も知られていたので、やっぱりマズイのだ。
いちおうプロフィールにはひっそりと子持ちだと載せているらしいけど、お母さんも所属の事務所もプライベートなことは公表していない。もちろん本名すらも。
小学生の頃に一度、『大月みさき』の隠し子がいるらしい、なんて噂が立って少し騒ぎになったりしたことがある。
誰も知らないはずの秘密を、うっかりしゃべったのはあたしの友達だった。
それらしきことを話したあたしも馬鹿だったけれど、信頼していたから話したのに。
噂はおもしろおかしく話題にされ、父親は誰だ、なんてことも言われたりした。
もちろんマスコミが学校へ来るし、あたしは学校へ行けなくなってしまった。
話題がアイドルの電撃結婚に逸れてからも、あたしは学校へは行かなかった。
もう誰とも話なんてしたくなかったから。
誰も知り合いのいない中学へ入ってからもあたしは友達を作ろうとはしなかった。絵梨を除いて。
もう同じ間違いを繰り返さないためにも。

お母さんも亡き人となってしまい、今はもう隠す必要もなくなってしまったけれど。

「咲原!少し休憩したらぼーっとしてないで練習しろ。お前だけなんだからな!25メートル泳げてないの」
「は、はい」

いつの間にか怖い顔をした原田先生があたしの真後ろに立っていた。
そして思いっきり腕を引っ張られる。その上思いっきり背中を触られてしまった。
気持ち悪ッ!
なんでベタベタ触ってくるのよ!
と思ったけど、電車の痴漢じゃあるまいし大声で叫ぶわけにもいかない。
高校生なんだから一応、そういうこと配慮するもんじゃないの!?
そりゃあ、先生たちから見れば高校生なんてコドモなんだろうけど。
なんて心の中で叫びつつ、大人しく従っていると、ヤツの口から出た言葉。

「授業中に泳ぎきれなかったら、放課後補習だからな。今日中に泳ぎきるまで帰さないぞ」

信じられない。ありえない。


そんな引きずられるように連れられていくあたしの姿を湖南さんはじっと見つめていた。
なんだか少し哀しげに見えたのは気のせいだろうか。










   



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