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「社長・・・」
あたしの声に振り返った新山麗香の顔に確かな狼狽が感じられた。

「私は愛のない結婚をするつもりはありませんよ?彼女の言うとおり、ね」
社長は一言、冷たい言葉を新山麗香にぶつけた。
その目は一瞬たじろぐほどに冷徹さを含んでいる。
こんな社長をあたしは初めて見る。あの穏やかな社長とは全く違っていつもの社交辞令の笑顔すら浮かべていない。
この人は今のやりとりを聞いていたのだろうか。

ていうか、帰ってきてたのに黙って聞いてたのか?

「新山さん。本日はあなたとの約束はしていませんよ?早急にお引き取り下さい。私の有能な秘書の仕事の邪魔をしないでいただきたい」
社長の圧倒的な存在感に何も言えずに固まっていた新山麗香が、はっと我に返ってあたしの方を見た。
「秘書・・・?」
「ええ、彼女は私の秘書であり恋人ですよ。若いのに立派でしょう?」

は?
あたしは思わず社長を見た。
ちょっとちょっとちょっと。
自分からカミングアウトしちゃったよ、この男。
ただのお茶汲みで良かったのにー!

社長は何も言わず、扉を開いたまま彼女に出て行くように手で促した。新山麗香は社長に頭を下げると、何も言わず静かに応接室を出て行った。

うわーおそろしい社長の一面見ちゃったよ。
怒らせると怖いらしい。
ドキドキしながらあたしは社長の姿を見つめた。そこにはさっきまでの氷のようなオーラはまったくなく、いつもの優しい社長の顔があった。



「ただいま、柚葉ちゃん」
にっこりと微笑む社長は、さっきと本当に同一人物か?と思わせるほど。
二重人格・・・なわけないよね。
「社長・・・いつお戻りになったんですか!?」
「うーん、だいぶ前?」
だいぶ前、じゃなーい!
なんともお呑気な答えに、あたしはいつもの調子を取り戻していく。
だいぶ前に戻ってきて立ち聞き!?
超ハラハラドキドキしながら新山麗香の相手をしてたのに。

「どーして入ってきてくれなかったんですか!薄情者ー!」
決して薄情ではない彼を知っているだけに、あたしは思わずそんなことを口走ってしまった。
社長はあたしの両手をしっかりにぎると、頬に軽くキスをする。
「いや、助けにいこうと思ったんだけど、柚葉ちゃんがあまりにもかっこよくて・・・惚れ直してた。それにほらあのタイミングが一番かっこいいかな、と」
「はあ!?」
意味が分からない。
本当に全部聞いてたのか、この人。
なにがタイミングだ。なにが!
戻ってきたならさっさと入ってくればいいものを。

「だってほら、帰ってきたのにお迎えないしさー」
「事前連絡ありませんでしたけど?」
「え?そうだっけ?」
「ありませんでした!」
「まあ、そのおかげで柚葉ちゃんの勇姿が見られたし。いやー、ホントかっこよかったね。僕は柚葉ちゃんにこんなにも愛されてるんだなーと感動したよ」
あたしの手をつかんでいた社長の片手が頬へと移動する。
さっきキスをしたあたりにピッタリと手を添えて顔を近づけてくる。
「え、いや・・・あの・・・」

あたし、何言った?
実はものすごく恥ずかしいこと言った?
愛がどうのこうのと、偉そうなことを・・・うわー!
今頃恥ずかしさが込み上げてきて、あたしは社長の手を思いっきり払いのけてその場に頭を抱えてしゃがみこんだ。

ああああ、穴があったら入りたい。

「そんなに照れなくても、柚葉ちゃんの本音はよーくわかったし。ちゃんと信頼されてるのもわかったし。大丈夫、柚葉ちゃんの信頼を裏切るようなことはしないから」
「ちょっ、社長!ここ、会社です!」
社長はあたしの腕をひっぱって強引に立ち上がらせると、そのまま身体を引き寄せた。
「気にしない気にしない」
「いや、少しは気にした方が・・・」
あたしの抵抗空しく、社長はあたしを思いっきり抱きしめた。

「会いたかったよ、柚葉ちゃん」



社長室で、仕事を再開するも、いつもの指定席に社長の姿があって妙にドキドキする。
今までそんなことはなかったはずなのに、これはどういうことだろう。
「そういえば社長、新山麗香・・・さんに秘書で恋人なんてばらしちゃって平気なんですか?」
「別に、いいんじゃない?」
別にいいんじゃない?じゃないってば!まったく危機感というものがないのか。
立場悪くなったりするんじゃないの!
「あの手の女の人はそういう自分のプライドに傷がつくようなこと言わないから」
うわ、断言してる。
微妙に女という生物をすべて理解しきっているような発言にもとれるけど。
なんか新山麗香が少しかわいそうな気もする。
「過去に傷つけられたりしたんですかね、あの人」
「そうかもね。家庭環境もあるかもしれないし」
そうか。最近は複雑な家庭環境で育った人多いし。
その点、うちはなぜか平和の象徴のような家庭だ。
あまりにお呑気すぎて少し心配になるほどに。

「でも、もし過去の恋愛で傷つけられても、柚葉ちゃんならあんな風な考え方にはならないと思うよ」
「え、そうですかね。わかりませんよ。だって現実って幸せな結婚ばかりじゃないじゃないですか」
「そうだね。でも柚葉ちゃんは幸せになるよ」
「どうしてわかるんですか?」
「相手が僕だから」
な、な、なにを言ってるんだ、この人はー!
あたしは思わず自分のデスクに突っ伏した。
なんで社長はそんなこっぱずかしいことをさらりと言えるのだろうか。しかも表情ひとつ崩さず。
絶対女慣れしてる!

心臓がようやくおさまりはじめて、あたしはそろりと社長の方を見た。
あれ、いない。
社長のデスクは明らかにさっきまでいた人物がいない。
空席だ。
「こっちだよ」
「うわっ」
背後からの声に思わずあたしは飛び上がりそうなほど驚いた。
いつの間にあたしの後ろに立ったわけ!?
全く気づかなかった。その気配すら。
「な、なにをされていらっしゃるんでしょーか?」
あたしの座っている回転椅子をくるりと回転させられ社長と向き合う状態にさせられた。
社長がかがみ込んであたしと同じ位置に視線をもってくる。
顔が近い。近すぎる。

「柚葉ちゃん」
「はい・・・」
なんか怖いんですけど。
「今日お泊まりね」
「は?なんでですか?」
「だって最近お泊まりないし、愛も交わしてないし、柚葉ちゃんは淋しくなかったの?」
「・・・そ、それは・・・」
淋しかったけど。
「今日は珍しくスカートなんだね。いつものパンツスタイルもよく似合ってるけど」
それは、社長が帰ってくると思ってなんとなくスカートにしてみようかという女心。
そんなことを知ってか知らずか、社長はスカートの下の太ももに手を這わしはじめる。
「ちょっ、やめてくださいっ。・・わ、わかりました。今日は泊まりに行きますって。だからやめてくださいってば!」
「ヤダ・・・と言いたいところだけど、まだ勤務中だからね。続きは夜のお楽しみにしようか」
こ、怖っ。
にっこり笑ってするっと私からはなれていく社長の姿になんとなく物足りなさを感じながらも、笑顔があまりにも恐ろしい。
いや、何を期待してるんだ!あたしは!


再び自分のパソコンに向かいはじめた社長の姿を見て、ほっと安堵の息を吐く。
けれど、セクハラ行為を除けば、こうやって社長と話をするのも久しぶりで、どこか嬉しい気持にもなる。
二人の時間に慣れてしまったってことなんだろうか。





   



      


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