それから何度か打ち合わせと称して新山麗香はやってきた。同席を許さない一対一の面会はなんだか嫌な気分だったけれど、社長は仕事の話以外はしてないから、と言うので、あたしとしてはそれを信じることしかできない。
けれども応接室とはいえど密室に二人きりなんてやっぱり落ち着かない気持ちになる。
まだ社内だからいいものの、そのうち外で打ち合わせ、なんてことになったら二人で食事に・・・なんて行かないよね?
あたしはイライラしながら会議録を入力していたものだから、案の定、最初に提出していたものが誤字脱字だらけだと副社長からお叱りを受けるハメになってしまった。
ああ。
誤字脱字なんて、そんな指摘をされことなんて一度もなかったのに。

さらにおいうちをかけるようなことがやってきた。


「海外出張!?」
珍しく社長室でのんびりしているかと思いきや、社長の口から飛び出した言葉は海外出張に行ってくる、だった。
「そう。急な話なんだけどね。香港で同じようなことやってる友人の会社とね共同開発の話が持ち上がってるから、年内に行ってこようかと思ってるんだよ。1週間くらいかな。何かあればすぐに帰ってこれる距離だし」
「そうですか」
社長の友人が何人か会社を立ち上げたのは聞いていたけれども。
海外でやってる人もいるのか。
どうやら電話で話を進めていて、本当に急に決まったらしい。
「柚葉ちゃんも一緒にいければよかったんだけどね、一応中国語のできる人の方がいいから」
「それはそうですよね。しっかりお留守番してますよ」
笑顔でそう答えたつもりだったのに、もしかしたらあたしの顔は引きつっていたかもしれない。
仕事なのだから仕方ないし、そのことについてあたしが口出しできるものでもないのはよくわかっているはずなのに。
どうしてこんなに重たい気分になってしまうんだろう。
たかだか一週間のこと。
「淋しかったら毎日香港まで通ってもいいんだけどね」
「は!?いやいやいや。飛行機代もったいないですから!必要経費どれだけかかると思ってるんですか!?」
日本から香港まで飛行機通勤なんて、そんなこと聞いたことないし。
「ははは。冗談だよ」
「当たり前です!」
何を言ってるんだ何を。

「じゃあ、スケジュール調整してみますね」
「よろしくね。あ、クリスマスイブにかぶせちゃダメだよ」
「・・・ええ。わかりました」
「なにその事務的な態度は。柚葉ちゃんはイブ、一緒に過ごしたくないんだ?」
「え、そ、そんなことはないですって」
社長、プライベートを完全に仕事に持ち込んでますけど?
なんてことを思ってみたけど、一応、イベントのことはしっかり覚えていてくれてることになんだか妙にほっとしている。
「ならいいけど」
社会人なのだからクリスマスイブが仕事で、文句を言ったりはしないけれど、やっぱり1人で過ごすとなれば淋しい。
あたしは一週間、予定を変更できそうな週を考えながら、カレンダーを見つめた。
11月も終わり。
もうすぐ12月だ。
こんな急にスケジュール変更で、イブはかぶせるなとか、ものすごい無茶なこと言ってるよ、ウチの社長は。



社長の海外出張が決まってから、社長のスケジュールはますます忙しくなった。
年末年始の忙しさに加えて、1週間、会社不在になってしまうために、会議も増えるし、面会も増えるし、社長は週末も会社へと出社することになっていた。

毎日仕事で、毎週末はプライベートで社長と会っていたのが嘘のように、あたしは一人で仕事をこなし、一人で週末を過ごす日が増えた。
もちろん、これまでにも週末に社長が出社することはあったけれど、土日のうちどちらかで、どちらかは必ず休みだったし、その休みの日はいつもあたしと一緒だった。
社長秘書で恋人で、一番身近にいるはずなのになぜだか遠い存在になった気分だ。

「あー。忘年会シーズンだわ」
あたしは一人パソコンのスケジュール画面を見ながらつぶやいた。
誰も返事をしてくれる人はいない。
思えば5月の連休明けに突然社長秘書をやれと言われてから、なんだかあっという間だ。最初はどうなることかと思ってたけど、それなりに仕事には慣れたし、最近は責任のある仕事も任されるようになってきた。
やりがいも感じている。
けれど、この物足りなさは一体なんなんだろう。
ぽっかりと心に穴が空いたような、そんな話に聞くだけの気分をあたしは初めて知った。


「律子はまだ?」
最近は社内食堂でランチを取る時間も増えた。
一人でぽつんと座っている美絵の前に、あたしも腰掛けた。
美絵はお疲れさま、とにっこり笑う。あーこの笑顔、癒し系だわ。
「まだみたいだねぇ。忙しそうだよ。律ちゃん」
「あー、そっか年末調整の時期だしね」
「そうそう」
総務って年末とか年度末って何かと忙しい。
まあ会社全体が忙しくなる時期でもあるけれど。
「美絵、今日それだけ?」
美絵の前にはフルーツサラダと野菜ジュース。
「あ、うん。最近食欲なくて」
「えー。ダメだよ、しっかり食べないと。最近痩せたんじゃない?」
「あはは。頑張って食べるよ」
「企画ってやっぱり仕事ハードなの?」
「うーん、どうかな。私がもたもたしてて仕事は遅くなったりするけど。もっと要領よくできればいいんだけどな」
美絵はおっとりマイペースなタイプだから。

そういうところが癒し系で、この間、男性社員の何人かが美絵の噂をしているのを聞いた。
背が低くて可愛くて、なんだか守ってあげたくなっちゃうタイプなんだとか。
確かにそうだと、あたしもひっそり頷いてしまった。
あたしは美絵のように可愛いタイプでは決してない。
だからといって、新山麗香のような美人タイプでもない。
十人並みのごく普通のどこにでもいそうな女だと自分でも思う。
仕事だってものすごく出来るというわけでもないし、所詮入社2年でやっている仕事も多くはない。
うー、あたしの取り柄ってなんだ?


「柚ちゃんは社長がいなくて淋しそうだねえ」
「は!?な、なんで、ど、どこがぁ?」

淋しそう!?
あたしが淋しそうに見えるの!?

美絵の一言にあたしは思わず動揺を隠せない。
ここのところ社長は会社不在のことが多いのは周知の事実。
副社長はたまにふらふらしてるけど。
それでも女子社員たちのやる気が全然違うと、上の人たちが嘆いているとかいないとか。
「だって元気ないよ?やっぱり一緒に仕事してる人がいないと淋しいよね」
なんだ、そういうことね。
思わず心を読まれた気分になってドキドキした。
「あ、う、うん。まあね。1人で楽だけど、話し相手いないとね」
「だよねぇ。社長かっこいいし」
「またー、美絵まで律子みたいなこと言って」
あー、なんだか心苦しい。
どうしてなんでも相談できるはず同期の友達にまで隠さなければならないのだろう。

相手が社長だから、なんだよね。
紀美ちゃんはずっと一人でこんな思いを抱えてきたんだろうか。





   


      


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