よくよく冷静に考えてみればわかることだったのかもしれない。
副社長が誰と結婚するのか。
けれど、その時のあたしにはどうしても結びつけることができなかったのだ。というよりも結びつけたくなかったというのがあたしの本音だった。
だから、そのことに関してはあまり深く考えなかったし、あたしの中では次の日もその次の日も普通に過ぎていったのであまり気にしないようにしていたのだ。
社長から、プライベートなお食事のお誘いがあるまでは。


帰り、ほとんど一緒に帰ることはないけれど、お互い時間が遅くなったりすると、社長が自宅まで送ってくれる。相変わらず自家用車出勤らしい。すぐ近くに住んでいるのに。
窓の外を眺めながら随分と日が暮れるのは早くなったなぁなんてぼにゃり考えていると社長が口を開いた。
「柚葉ちゃんさ、週末暇だよね。ディナーコース食べに行こう」
「・・・」
なに、この強制的発言は。
ああ、もう勝手にしてください。
予定があるって言っても無駄なことは今更わかってる。
「突然どうかしたんですか?」
「ん?ほら速人が婚約者連れてくるっていうから、ダブルデート?」
「はあ・・・」
いい大人がダブルデートというのも変な話だけど。
何故、あたしがそんなところへ同行せねばいかんのだ。あの副社長の婚約者には興味あるけど。なんとなく会ってみたいけど会いたくないような微妙な気持だ。
きっとプライドの高そうな仕事のできる美女に違いない。
「結婚式のね、アドバイスも聞きたいらしいよ」
「そうなんですか?」
あの副社長があたしのアドバイスなんて聞く耳持つのか?なんて不審に思いつつもあたしは少しだけ結婚式を思い浮かべてみる。
そういえば子どもの頃に一度だけ結婚式に出席したことがある。
叔母さんの結婚式の時、6歳だったあたしはフラワーガールをやったっけ。緊張したけど叔母さんがものすごく綺麗だったのをよく覚えている。
ウエディングドレスはやっぱり一度くらいは着てみたいよね。

「あー、なんかどんどん先を越されていくな。この前後輩も結婚したし。僕のまわりは結婚ラッシュだよ」
「へー。おめでたいですね」
「なんか人ごとだね、柚葉ちゃん」
「人ごとですから」

ああ、そうか。
あたしは社長の顔をちらりと眺めた。
最近一緒に暮らそうって言ったり、結婚云々をぶつぶつ言ってるのはこのせいだ。
まわりがどんどん結婚していくものだからこの社長、少し淋しくなっているに違いない。
でもでもでも。それはそれ。
あたしたちが結婚とか、まだ考えられないし!

「最近柚葉ちゃん冷たいよね」
「ええ?そんなことないですよ?」
「そうかな」
「そ、そうですよ!」

周りの友人たちはまだ結婚なんて話出てこないし・・・紀美ちゃんくらいなんだよね。だから自分にはまだ早いかなーと思ってしまうのは当然で、でも社長は34歳だし、やっぱり周りがどんどん結婚していっちゃうとそういう気持になってしまうのだろうか。
女の人は30までに結婚しないと、って焦る人もいるみたいだけど、男の人でも焦ったりするものだろうか。

暗闇に包まれていく景色をぼんやりと見つめながら考えた。
そういえば、紀美ちゃんの結婚相手ってどんな人なんだろう。
きっと包容力のある優しい大人の男の人なんだろうと思うけど、社内にそういう人って少ないよね。沢村係長なんかはそんな雰囲気だけど、美絵と良い感じっぽいし。

結婚、かぁ・・・。
確かに24歳になるし、そういう話が出てきてもおかしくない歳になってきたのかもしれない。



約束の日。
あたしはいつもより女らしい服装で指定されたホテルにやってきた。
いつもはパンツスーツが多いからあまりスカートははかないけれど、ホテルのディナーということになればそれなりの格好をしていかなければいけない。
ホテルのロビーで待ち合わせになっているけれど、まだ誰も来ていないようだった。と言っても副社長の婚約者さんとは初対面だから、もしかするともう来てはいるのかもしれないけれど。
あたしは辺りをキョロキョロと見回してみる。
ふと目があったのはよく見知った女性。

「紀美ちゃん!」
「あ、やっぱり柚葉ちゃん。すぐに場所わかった?」
「どーしてここに!?」
驚きを隠せないあたしの前で妙に落ち着いている紀美ちゃんは、黒の生地に華やかなピンクと白の花が浮かぶワンピースにショールを羽織っていて職場の雰囲気とは全く違って見えた。
大人っぽくてとても綺麗だ。
「あれ、柚葉ちゃん聞いてないの?」
「なにを?」
「今日のお食事」
「え?」
「あ、聞いてるからここにいるんだよね。あれ?」
なんだか会話がちぐはぐだ。
今日のお食事。
確かに今日のお食事は社長に誘われ。
副社長とその彼女がやってくると告げられ。
ここにいるのは紀美ちゃんで。
紀美ちゃんはあたしが来るのを知っていて。
「え!?」
あたしは思わず大きく叫んでしまった。
でも、恥ずかしいとかそれどころじゃない。
いやまさか。
いやいやいや。そんなことありえない。
でも。
「もしかして」
もしかしてもしかしなくても。

「副社長の婚約者って紀美ちゃん!?」
「あれ、聞いてなかったの?もー相変わらずねえ、あの人」
唖然。
ああ、このときのあたしはこの上もなくおかしな顔をしていたことだろう。
「ほ、本当に・・・?」
「うーん。まあ本当のこと」
ありえない。
絶対あってはならないそんなこと!
あたしはがっしり紀美ちゃんの両手を握りしめた。
「ダメダメダメダメ!紀美ちゃんみたいなまっとうな人があんなちゃらんぽらんの性格悪い男に引っかかっちゃダメだって!」

「随分と酷い言いぐさだな」
「ぎゃっ」
あたしの背後から聞こえたのは紛れもなく副社長の声。
「あ、おかえり。化粧室並んでそうだった?」
「いや、大丈夫だったよ」
「じゃあ、私もいってこようかな」
目の前で普通の会話をする二人があまりにも想像できなかった光景で、あたしは、これはもしや夢なのでは、なんて一瞬思ってしまった。
「柚葉ちゃんもいく?トイレ」
「い、いくいくいく!行きます!」
あたしは思わず親切にも声をかけてくれた紀美ちゃんの手を取ってその場を急いで離れた。


「紀美ちゃん本気!?本当の本当!?」
副社長のいない化粧室の鏡の前であたしはもう一度確認するように詰め寄った。
「信じられないよねー?あたしもまさか結婚するなんて夢にも思ってなかったかも」
紀美ちゃんはにこにこと笑いながら答えてくれる。
どうやらやっぱり本気らしい。
ということはラブラブの結婚間近な彼氏というのは間違いなくあの副社長で。
一緒に暮らしていて、毎日仕事が終わると寄り道すらせずに家に帰って健気にご飯を作っている相手もあの副社長。
「お帰りなさい、あなた」「ただいま、紀美香」とか言ってたりするんだろうか。
うわ、なんだか全然想像できないんですけど!
しかも女たらしだとか、いつも連れ歩く女は違うとか色々噂の絶えない遊び人。
いや、噂がすべて本当だとは思ってないけど、性格の悪さはあたしが体験済みで、それだけは確かなのだ。

「いじめられたりしない?」
「あはは。意地悪なトコあるよね。柚葉ちゃんからかうの楽しいっていつも言ってるよ」
な、なんですって!?
からかうの楽しい・・・。
ていうか、うわー。そんなことまで話してたりするんだ。
いや一緒に暮らしてて同じ会社ならそうだろうけど、イマイチ信じられないので、いちいち紀美ちゃんの発言に驚いてしまう。
いやまて。
社長はこのこと知ってたんだよね。
もしかしてあたしだけ知らなかったということか。
そりゃー、社員のプライベートなことをペラペラしゃべるような社長なんて信じられないけど、なんというか・・・あたしって遊ばれているのかもしれない。

「でも、柚葉ちゃんが社長とつきあい始めたって聞いて嬉しかったんだよね」
「え?」
「ほら、誰にも相談できなかったし」
あ。
だから紀美ちゃんはあたしと社長のこと知ってたんだ。
そりゃー副社長と付き合っていたら筒抜けになるわな。
「確かにこんなこと誰にも言えないよね」
その他大勢の女性社員の皆様に袋だたきにされてもおかしくない。
それにしてもよく隠し通してこれたなぁって思ってしまう。全く気づかなかった。1年間ずっと紀美ちゃんの隣で仕事してたのに。
そういう素振りはまったく見せなかったし、副社長だって他の女の影はたくさんあったけど、まさか紀美ちゃんと付き合ってるだなんて。

「ねえ、紀美ちゃん。本当にいいの?やめるなら今だよ」
「あはは。ありがとう。柚葉ちゃんならそう言うと思った。でもね、もう決めたことだからね。噂では色々言われてる人だけど、意外に真面目だったりするんだよ?」
「ま、真面目!?」
なんだか全くといっていいほど当てはまらない言葉だ。
本当に副社長のことを言ってるのか、と疑問さえ沸く。
「紀美ちゃんがそう言うならあたしはもう何も言わないけど」
紀美ちゃんの強い眼差しにあたしはそういうのが精一杯だ。
「ありがとう。出社するのはあと少しだけど、これからも仲良くしてね」
「当たり前だよ、そんなの」
入社して何も分からなかったあたしに一番親切にしてくれたのは紀美ちゃんだ。敬語で話してたら、そんな風に気を遣わなくてもいいよ、なんて笑顔で言ってくれたし。一番付き合いやすい先輩だった。
仕事は丁寧だし、正確だし、一番尊敬していた。
会社を辞めるのは相手が副社長だから・・・。
確かに、みんなに知られてしまうと続けづらいのは当然のことだけど。

男の人のために諦めなければならないことがあるのって、あたしはなんだかよく分からない。
あたしは社長のために仕事を辞められるだろうか。



   



      


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