午前11時45分。
あと15分で昼食タイム。今日は嬉しいことに会議もないし、社長のお客様もいない。定時通りに昼休みを迎えられそうだ。
あたしはウキウキしながら目の前のパソコンに向かってキーボードを叩く。
仕事も会議録の入力だけだし。
久々に経理にいたときに一緒だった紀美ちゃんからのお誘いがあって、時間があえば一緒にランチしよう、なんて話をしてたのだ。
紀美ちゃんとは同じ部署にいたときはよくしゃべってたけど、やっぱり同期じゃないし、先輩だからどうしても一緒に・・・ていう時間はなかなか取れない。結婚間近な彼の為に仕事の後はさっさと帰っちゃうし。

「柚葉ちゃん。今日のラン・・・」
「ダメです。今日だけはダメです」
社長の発言の意図がすぐにわかって、あたしは慌てて言葉を遮るように強く言った。
哀しげな顔で、酷い、柚葉ちゃん・・・なんて言われてもあたしは動じない。
ていうか、誰だ、コレは。本当に社長か。

「まだ何も言ってないでしょ」
「言わなくてもわかります。ランチ一緒はダメですよ。先約があるんです」
「残念だな。誰と一緒に食べるの?美絵ちゃん?律子ちゃん?」
「紀美ちゃんです」

社長はあたしの友人たちをなぜか親しげにちゃんづけで呼ぶ。
仲の良い二人には言ってもかまわないのに、なんて言ってくれるけど、言えるわけがない。絶対に。特に律子だけには知られたくないというか知られてはいけない。
あんなにイケメンはありえないとか社長だけはムリとか豪語してしまって、なぜに社長とおつきあいすることになりました、なんて言えようか。
知られた日にはどんなことが起こるやら・・・。
想像しただけでも恐ろしすぎる。

「紀美ちゃんて・・・経理課の松井紀美香さん?」
「そうです」
「へー、仲がいいんだね」
「入社した頃から親切にしてもらってるんです」
「なるほど」

それなのに引き離されたんですけどね。あなた方に。
人事のことをとやかく言う権利はないけれど、3月の終わりならまだしも、入社2年目の連休明けとかわけのわかんない時期の突然の人事移動、しかもあたしだけ、なんて心の準備もなにもあったもんじゃない。

そうしていると時計の針は12時を差す。
「ランチいってきまーす」
あたしはさっさとカバンを握る。また社長に何かを言われては大変だ。
そう思っていたけど、社長は「いってらっしゃい」と言っただけで何も言わなかった。なんとなく拍子抜けだ。
いつも美絵や律子とランチにいくときは、「えーおいてくのー?」とか「さみしいなー」とか嫌みったらしくぐちぐち言ってるくせに。

なんだか少し様子のおかしい社長を残してあたしは社長室の扉を閉めた。



「紀美ちゃん!」
「柚葉ちゃん久々だね〜」
たまに顔を合わせるくらいはあるけれど、やっぱり部署が違うと・・・というかあたしが社長室に籠もりっぱなしのせいで、ほとんど会えなくなってしまった。同じ建物なのに、会社ってこういう場所だ。
建物の1階出入り口で待ち合わせて、今日は久々に外でランチ。
社内食堂だとなかなかざわついてて落ち着いて話ができないからだ。
あたしたちは会社近くのイタリアンの店に入った。
ここはお昼はOLさん向けのランチセットが安くてかなりおいしい。周りも女の人ばっかりだ。会社の人たちも利用している人が多いけど、今日はいないようだった。
二人で同じランチセットを注文して、向かい合わせに座った。
最初は何気ない社内の話で盛りあがって、食事が運ばれてくるまでの間にあたしたちはけっこうしゃべった。というか、あたしが愚痴を聞いてもらった、というのが大半だ。

「あ、ごめん。紀美ちゃんなにか話あったんだよね?」
「あー、うん。あのね・・・結婚するって言ってたでしょ?」
「あ、もしかして日取りとか決まったの?!」
「それもだけど。今年度で会社辞めることにしたの。あ、コレまだ内緒ね?」
「ええ!」
確かに普通に考えれば寿退社なんてよくあることだけど、まさか紀美ちゃんの口からそんな言葉が出るとは思いもしてなかったあたしは内心かなり驚いていた。

「上の人たちは知ってるんだけどね。ほら、相手が相手だし・・・。一緒の会社だとマズイかなあって」
「え!?相手の人ってうちの会社の人だったの!?」
「え?」
「え?」

あたしたちはなぜか、え?え?とかお互いに何度か言い合って、最後には二人で思いっきり笑ってしまった。

「なんだ。藤原社長、柚葉ちゃんには言ってなかったんだ。そういうところやっぱりしっかりしてるんだね」
「あ、社長は知ってるんだ?」
まあ、そりゃそうだよね。上司には報告するのが当たり前だろうし。
「うん。だからてっきり柚葉ちゃんは知ってるもんだとばかり思って」
「えー、まさかたかが秘書のあたしにそんな社員のプライベートな話はしないよー」
すると、紀美ちゃんはニッコリ微笑んであたしに顔を寄せると小さくつぶやいた。
「だけど、彼女でもあるんでしょ?」
「ええ!?」
あたしは思いっきり立ち上がってしまい、周りの人たちにかなり不審な視線を送られるはめになる。
「ど、どーしてそれを」
「ふふ。どーしてかは、たぶんもうすぐ分かるよ。結婚式はね3月3日に決まったの。入籍は年内にしちゃうんだけどね。柚葉ちゃんもぜひ出席してほしいな」
「そりゃ、出席はもちろんだけど・・・」
なぜかどーにも腑に落ちない。
紀美ちゃんはニコニコ笑ってるけど。
まさか社内の噂とかで流れてるわけじゃないよね。そんなことあってはならないと徹底して頑張ってるのに。

もやもやっとしたままランチを終えて戻ってきたあたしはさらに驚くことを聞かされることになる。



今日は絶対大丈夫。遅刻にはならない。
あたしは腕時計を確認しながら一人うんうん、と頷いてみた。
外へランチへ行ったとはいえ、紀美ちゃんの優しい心遣いで10分前には社内に戻ってきた。
余裕な気持で社長室の扉を一応ノックして開く。
きっと、一人でランチしてた社長にまたグチグチ言われるのだろうと、予想しながら。
「「おかえり〜」」
陽気な声が重なる。
目の前には手作り弁当を頬張る大の男二人。イケメン2トップ。
なんだか異様な光景にあたしは完全に足を止めてしまった。
なぜだか知らないけれど、見てはいけないものを見てしまった気分だ。マズイ。
これはマズイ。本能がそう叫んでいる。
あたしは思わず扉を閉めてその場を去ろうと試みるけれど、あっさりと副社長に止められてしまう。

「どこへ行かれるのかな?社長夫人」
「しゃっ、しゃ・・・って、ええええ?」
「未来の社長夫人と呼んだ方がいいか」
「な、何言ってるんですか!?!?」
「だってそうだろ?結婚すれば」
「違います!」

あたしが思いっきり否定すると、社長が哀しげな視線を送ってくる。
いやいやいやいや。
なんでつきあい始めたばっかりでこんな話になるのよ。
「柚葉ちゃんは僕と結婚したくないんだね」
「あの・・・いや」
結婚なんて考えたこともないんですけど。
「そうか。柚葉ちゃんにとっては34のおじさんなんかよりもっと若い男の子の方がいいよね」
「いえ・・・そういうわけでは」
ちょっと待て。
この流れ。
この流れのまま、また結婚なんてことになっていくのだ。
絶対に流されてなるものか。

「ほ、ほら。もう少し恋人同士を満喫しないとっ」

あたしは思わず思ってもみないことを口走ってしまって思いっきり後悔する。
副社長がクククと笑い始める。
社長はなぜだか神妙な顔でつぶやく。
「そうか。じゃあもっと愛を捧げないとダメなんだね。頑張るよ」
ぎゃあああああ。
愛を捧げるって・・・捧げるってなに?
これ以上何をするっていうのだ。
どうあがいてみてもこの二人にはかなわない。
そう確信しながら二人を見た。
ていうか、なんでこの二人が一緒にランチを・・・。いや仲がよろしいのは存じ上げていますけども、声をかければいくらでも女子社員が寄ってくるでしょうに・・・。


「まあ、柚葉ちゃんそんなところで、固まってないで中に入っておいでよ。ちょっとしたトップシークレットな話を教えてあげるから」
固まらせたのはあんたたちだ。
「トップシークレット?」
社長のイタズラっぽい笑みにあたしは顔を歪ませる。
ああイヤだ。
なんだかものすごくイヤな予感がする。
耳を塞ぎたい気持になってしまったけど、大人しく従うしかない。
あたしが二人の側まで行くと、社長はまだ内緒だよ?と人差し指を鼻の前で立ててニッコリと微笑んだ。
そして次に飛び出した言葉に、さらに固まらずにはいられない状況に陥ることになる。
一体全体こんなこと誰が信じるだろうか。いや、信じない。誰も信じないって。


「浅風速人副社長が春にご結婚することになったんだよ」


なぜかご丁寧に言ってくれた社長の。
隣にいるのはニヤニヤと笑っているご本人様。
開いた口がふさがらない、とはまさにこのことだ。


   



      


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