春 うらら   〜恋人編〜




「は?」
「だから、一緒に暮らそうって、言ってるんだけど?」
「ムリです」
「なんで?」
「な、なんでって」

日曜日の朝、目を覚ますと広いリビングの方から甘い香りとコーヒーの匂いが漂ってきて、たまにはこういうのもいいなぁなんて思い始めた秋の爽やかな日。
目の前にはパンケーキとサラダとコーヒー。
そんなテーブルを挟んで向かいに座っているのは、あたしの上司。社長様。
「柚葉ちゃんは週末しかこうやって一緒に朝を迎えられないっていうのは淋しくないの?」
週末だけで十分です。あたしの体力保ちませんから。とどーして言えない・・・あたし。
「あ、おうちの人?なら大丈夫だよ。ちゃんと挨拶にも行くし」
「けけけ、けっこうです!」
そんなとんでもないことされたら両親もビックリよ。
就職先の社長とできちゃった、なんて・・・。
うわ。自分で考えてもなんかおそろしいことしてるよ、あたし。

「会社でも家でも一緒になるんですよ?」
「え、楽しくていいでしょ?」
こんな整った顔を四六時中見なければならないあたしの気持にもなってください。何が楽しいのよ、何が。
「じゃあ、一緒に暮らしてもいいですけど、あたしを社長秘書から外してください。元の部署に戻らせてください」
「それはダメ」
「な、なんでですかっ」
「だって柚葉ちゃんの仕事ぶり、優秀だから」

うわ。
イキナリそうやって仕事を評価するようなこと言われると困る。
ふだんはいい加減そうに仕事してても、やることはきっちりやっているのは知っているし、会議なんかでも、この人ホントにさっきまで「柚葉ちゃーん、コーヒーおかわり」とか甘い声で言ってた人だろうかと思うくらい別人になる。
さすがに社長になるだけのことはあるのだ。
ふらふら社内歩いてるのかと思ってたら、どこどこの部署でいい加減な仕事してる人がいるから・・・とか指摘してたりするし・・・。
そういう人にちゃんと評価してもらえるのはやっぱり嬉しい。

「まあ、そうだよね。バレたら柚葉ちゃんは移動させなきゃいけなくなるだろうし、もうしばらくはこのままでいようか」
「そうですよ!公私混同はダメです!」
「会社では全く公私混同しないよね、柚葉ちゃんは」
「あたりまえです!会社は仕事する場所ですよ!」
「そういうところが好きなんだよ」
にっこりと笑う社長。
「・・・」
だーかーらー。
その顔で、さらっとそういうことを言わないで。
どうしていいかわからなくなるんですけど。
「でも、そろそろプライベートでは敬語はやめてほしいなぁ」
「・・・。と、年上じゃないですか」
「年上でも彼氏だよ?」
「うっ」

あたしは返答できず社長の作った朝食を無言でいっきに口におしこんでいった。
付き合い始めてから、あたしはいつも社長の手料理をご馳走になっている。いつぞやの時、作って食べてもらえるのがうれしいなんて言ってたことがあったけど、本当に料理はあたしよりも上手だ。
あたしも、カレーとか肉じゃがとか、基本料理くらいなら作れるけど、社長ほど手の込んだ料理は作れない。
この人あんなに仕事してるのに、疲れるってこと知らないのだろうかって思ってしまう。
朝食を食べ終えて片付けるのはあたしの役目。
最初は座ってていいよ、なんて笑顔で言われてしまったけど、さすがにそこまではできない。なんとか言いくるめてあたしのお役目にしてもらった。
「柚葉ちゃん。今日は何をしようか?いい天気だし、出かける?それとももう一度ベッド?」
洗い物をしていると社長が真後ろにやってくる。
あたしの肩までの髪に軽く触れながら、耳元で囁かれる。
こういうことに慣れていないあたしはとにかくこのやばくなりそうな状況を逃れるために口を開く。

「お出かけしましょう!だから座っててください!」

「そうだね」
くすっ。
小さな笑い声が漏れるのがわかった。
ああ。絶対楽しんでいる。
あたしの反応を見ながら楽しんでいるんだ。
社長は大人しくリビングに戻っていってくれたけど、あたしはおさまらない心臓の音をどうにかすべく、洗い物に集中しようと必死になった。


  



      


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