秋風そよぐ







「はああああああああああああああ。」

自分のデスクに突っ伏して思いっきりため息をつく。
週末は、思わぬ出来事に楽しく過ごせて、気分も少し回復してたのに。
月曜の朝になってみれば、再び現実に戻る。

するとゴンッと鈍い音と衝撃が頭に走る。

「朝から何ため息ついてんだよ、幸せが逃げるぞ。」
「最初から逃げるような幸せなんてないわよ。」
顔をあげると田端が笑っている。
あー、もうみんなが出勤してくる時間なのね。

・・・リクトももちろん来るわよね。
当たり前よね。
ここは職場。
そしてリクトは元彼の弟から、いまや同僚。ありえない。

「今度飲みにいかね?」
「いいわよ、いつでも付き合うわよ、今のわたしなんでもこいよ。」
「やけに荒れてるなー。なんかお前紹介しろってヤツが多くてさ。」
「アラ、いい男?」
「まあ、そこそこ。お前と同期ってだけで、いろいろ使われるから参るよ。」
「なんでー?いい女はそこら中にいるわよー?」
「・・・お前なー。いや、まあいいや。とりあえず奢りだから、顔出してくれればいいや。」
「ラッキー!」

タダ飲み、タダ食い!よっしゃぁ。
生きてると良いことだってあるわよね。
ガッツポーズで生き返る。
ふと、視線を感じて、振り返ると。

一人の男がわたしをじーっと見ている。
黒縁メガネに、整えられたスーツ。

リクト!?

な、ななななんで!?
なんであんな真面目風な容貌に。
しかもなんか怖い顔で睨んでるしー!
わたしなにもしてないわよ、まだ。
なんで睨まれなきゃいけないわけー?

幸いにも始業ベルが鳴ってくれて助かったけれど、その後もリクトの視線をひしひしと感じながら午前中を過ごす羽目になってしまった。
今日は外回りには出かけていない様子。どうしてこういう日に限ってデスクワークなのよ。
わたしに平穏な職場を返してちょうだい。
せっかくクールで仕事のできるかっこいい女を演じてきてるのに、この心理状態はかなりヤバイ。

「北野さん。」
「はい、部長。なんでしょう。」
「今日のお昼一緒しないか?」
「あ、いいですよ♪もちろん奢りですよね〜?」
「時間限られてるんだからコース料理とか頼むなよ。」
「わかってますよ〜!」
「じゃ、またあとでな。」
「はいは〜い!」

ラッキー!
なんなのかしら、今日はやけについてるかも。お昼代浮いちゃったわ。
田中部長の珍しいお誘いに、わたしの心も浮かれ気味。気分転換にもなるわね。
そうなのよね。部長っていつも女子社員から誘われて笑顔でほいほい一緒に行っちゃうので、部長から誰かを誘う・・・なんてこと珍しい。基本的に来る者拒まず、去る者追わずタイプだから。
もちろん残業の時なんかは、残ってる人連れて飲みに行ったり・・・はあるけど。
まぁ、どうせ仕事の話なんだろう。
営業部も慣れてきたし、新しい仕事を任されるのも気分悪くないわ。

ランチタイムに入ったら、わたしはリクトの怖い視線から逃げるように準備をして田中部長と外へ出て行った。
その後何が待っているかなんて思いもせずに。



「北野さんさ、海棠夫妻の披露宴に出席するんだよね?」
「・・・海棠夫妻?」
「あー、佐伯さん?だっけ。」
「あー、はいはい!美絵の・・・ですね。」

いきなり海棠夫妻なんて言われたものだから一瞬誰のことかと思ってしまった。
そうなのよねー。
あの美絵が・・・海棠・・・。
沢村さんが実は海棠グループの人だった、という事実だけでも驚きだったから。

「部長も出席なさるんですか?」
「あー、尚弥のほうのつながりでね。ほら、あの二人会社ではトップシークレットな二人だからね。」
「そうですよね〜。」

美絵は結婚しても通称名で旧姓のまま・・・誰と結婚したかなんて伏せられてるし、夫の沢村さんは退社してしまったし・・・あの二人が実は結婚していたなんてことは・・・ごく一部の人たちしか知らないことだ。

「社内からは、社長と秘書の田中さん、副社長夫妻に、俺と北野さんしか出席しないから、一緒に行けたらと思ってね。」
「あー、そういうことですか!いいですよ。わたしも困ってたんです。わたしだけパートナーいないし・・・。」
そう返事をしながらふと昨夜のことを思い出してしまった。


昨夜・・・。
社長宅での食事会の時。

「律子も誰か誘いなよ。別に一人ぐらい増えてもかまわないみたいだし。」
柚葉が心配そうに声をかけてくれた。
副社長夫妻はもちろん、当然ながら柚葉も社長と一緒に行くわけだし・・・他に社員がいないならバレる心配もないだろうからね。
わたし一人なんだよね。そういえば美絵もなんだか申し訳なさそうにしていた。
えーえー、わたしだけパートナーがいないのよ。
「ほら、北野さんは例の新人くん誘えばいいじゃない。」

社長が笑顔でそう言ったときは・・・この人・・・わたしたちの会話すべて聞いてたのね〜って思っちゃったけど。

「北野さんは総務でも人気だったし、声かければ絶対大丈夫だと思うけどな〜。」

紀美香さんにも笑顔で言われちゃったわよ!
ホント、紀美香さんはもともと綺麗で素敵な先輩だと思ってたけど、副社長と結婚してますます磨きがかかったというか・・・。
今はどうやら主婦の傍ら、アルバイトでデザイン関係の仕事をしているらしく、生き生きとしているのを感じられた。
自分のやりたいことをして、愛する人のために家のことをして・・・なんていうか女性の鏡?わたしの憧れなのよね〜。
それに、副社長の見せるあの慈しみの笑顔!
あんなの絶対社内じゃ見られないわ。
そこらの女性社員がどれほど軽く見られていたか・・・紀美香さんを見つめる視線とは全く違う。
いいなぁ、愛よ愛!
これこそ本当の愛なのよ〜!!



「北野さん?」
「あーハイ!すみません〜。ちょっと思い出したりして。」
「思い出し笑い?北野さんてエロいんだね。」
「部長、それもう古いですよ〜。」
「そうか〜。まずいな、もうオジサンの仲間入りかも。」
なーんて言ってるけど、田中部長はまだ30前後のハズ。まだまだ若いのよね。
ホントうちの会社、IT系だけあって平均年齢の低いこと低いこと。

「部長がオジサンなら世の中のオジサンはどうなっちゃうんですか?」
「ハハ。やっぱり北野さんは楽しいね。」
「そうですか?男っぽいだけですよ。」
「そんなことないよ。汗くさいだけだった営業部に新鮮な潤いをもたらしてくれてるからね。いつも感謝してるよ。」
「褒めてもなにも出ませんよ〜?」
「わかってるよ。」

さすが、営業部長!口が上手!
女だったらこんなこと言われたらキューン!てなっちゃうかもしれないわね。こんな調子で何人の女性たちをとりこにしてきたのかしら、この部長は。
ある意味副社長よりスゴイかも。



その日、退社する時間にフロアを見回してみたけど、リクトの姿はなかった。
ほっとしたのもつかの間。
リクトはわたしのマンションの前で待ちかまえていたのだから。



   






   



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